山西アカリ・ロングインタビュー「私の歌からそれぞれの故郷を思い出してほしい 」

山西アカリ
アーティスト

本格派演歌ガールズグループ水雲-MIZMO-のメインボーカルとして活躍していたAKANEが、6月29日に発売された望郷演歌「拝啓 みかんの里」で山西アカリとしてソロデビューを果たした。故郷に対する想いを綴った「拝啓 みかんの里」は、和歌山県有田出身の山西にとって、まさに自身を投影した曲。新曲のこと、故郷のこと、幼少期や歌手デビューする前のエピソードなど沢山語ってもらいました。

学校の先生みんなが夢を応援してくれた

ーー歌手になりたいと思ったのはいつから?

山西さん
母方の祖父母が和歌山でカラオケスタジオを経営していた影響で、小さい頃から演歌歌謡曲を聴いて育ちました。10歳から歌のレッスンに通うようになり、そこから自然と歌手を目指すように。当時から演歌が大好きで、中学生の時に文化祭で演歌を披露したのですが、男子生徒たちに鼻で笑われて(笑)。それが悔しくて、絶対に演歌歌手になってやるー!と決意がより強くなりました。高校生でのど自慢大会に出た時は、本来欠席扱いになるところを、部活の顧問の先生が欠席にしないようにと、校長先生に懇願してくれて。学校の先生たちが応援してくださって嬉しかったです。和歌山でキャンペーンをした時には先生が見に来てくださり、その姿を見て涙が出そうに…。

ーー水森英夫門下生になる前は何をされていたんですか?

山西さん
短大で保育士の免許を取得し、卒業後は約2年間保育士として働いていました。もともと小さい子どもが好きで保育士になったのですが、絵を描くことも大好きで、早く絵を描く技を身につけました。今でもサインをする時に、字と絵をササっと書けます。童謡なども沢山歌ってきたので、声も鍛えられました。振り返ると保育士で培った経験が今こうして活きているんだなって思います。

今でも高校時代に出場したのど自慢大会で、後ろで踊ってくれた友人や、保育士時代の同期たちも山西を応援してくれているという。

「拝啓 みかんの里」で、それぞれの故郷を思い出してほしい

デビュー曲「拝啓 みかんの里」は、山西アカリの等身大で歌った望郷演歌だが地名は入っていない。「聴く人それぞれの愛する故郷を思い出してほしい」という願いが歌に込められている。

ーー「拝啓みかんの里」を初めて聴いた時の印象は?

山西さん
水森先生からは“アカリの為のアカリの歌だよ”と渡され、ギターで弾き語りをしてくださって涙が止まらなかったです。1番から3番に出てくる最後の歌詞、“あれはもう あれはもう 十年前ですね”のフレーズは、上京して10年目になる私と重なり、色んな思い出が蘇ります。1番の歌詞の“列車の窓から手を振った”の部分には、上京する日に見送ってくれた父の姿と重なり、家族への想いが募りました。

ーー山西さんの気持ちを代弁した歌なんですね。

山西さん
特に2番の歌詞“みかんの匂いが する手紙”の部分は一番グッときます。コロナ禍になって水雲-MIZMO-として活動ができない期間が2年ほど続いたんです。そんな中、両親が食べ物に困らないようにと、みかんや野菜を送ってくれて、不安や申し訳なさから素直に「ありがとう」と言えませんでした。作詞をしてくださった岸快生先生も愛媛県出身なので、岸先生とも重なる部分があったのではないかと思います。

ーー歌う上で気をつけていることは?

山西さん
前半は手紙を読む様な感じで優しく歌っています。“十年前ですね”がキャッチーなフレーズなので歯切れ良く、バチッとキメるように心がけています。たまに先生が冗談で“百年前ですね〜♪”と替え歌にしてくださって(笑)。水森先生は楽しい先生です。

デビューするまでの綱渡りの日々

師匠・水森英夫の門下生となって10年目、実は門下生になるまでに過去に一度入門を断られたという。

山西さん
一度、門下生がいっぱいで断られたんですが半年後に名古屋のカラオケ大会があって水森先生が審査員長として出ると聞き、もう一度だけと思い挑戦し、そこで優勝することができて声をかけていただきました。水森先生には“半年間すれば素質があるかわかる。無理と思ったら和歌山に帰すからね”と言われました。

ーー覚悟を決めて水森門下生として入門されたのですね?

山西さん
毎回のレッスンが綱渡り状態でした。同期で入った子が、みんなでレッスンを受けている時に“君は歌手じゃないんだろうな。頭も良いから別の道があるんだろうな。”って、ちょうど半年で帰されて…。それも先生の愛と優しさなんですよね。早いうちに決断してやらないと人生を棒に振ってしまうからといった…。

夢を追い求めた綱渡りのような日々から半年、一年、一年半が経ったある朝に『水雲-MIZMO-に欠員が1人出たからやってみないか?』との電話を受け、水雲-MIZMO-での活動が始まった。

ーー水雲-MIZMO-での活動を通して学んだことは?

山西さん
グループで活動することの楽しさや思いやりを学びました。みんなそれぞれ違う個性を持っていて、私にないものを持っている2人。それぞれの得意分野を自然と分担して助け合っていました。音楽的な部分ではNAOさんが武蔵野音楽大学の声楽科を卒業されているので、楽譜の細かい部分まできっちりと教えてくれたりと、学びが大きかったです。

ーー3人からソロ活動へと…変化は?

山西さん
楽屋などでは以前は3人でわちゃわちゃしていたので、あぁ1人なんだなぁと実感し、最初は一抹の寂しさもありました。だけどソロになっても、お客さまの前で歌うと“水雲-MIZMO-の時のAKANEちゃんだね。またこうして会えることができて嬉しい”というお声を沢山いただきます。水雲-MIZMO-として活動してきたことは私の一生の宝物。キャンペーンでも水雲-MIZMO-の時の楽曲を歌わせていただいたりと、しっかりと歌い継いでいきたいです。

解散後もメンバーは連絡を取り合い、親交が続いているという。

「拝啓 みかんの里」のカップリング曲「ネオンしぐれ」は北海道、大阪、福岡のネオン街が舞台に。ブルース調のメロディーに郷愁を感じる。

今後はド演歌に挑戦したい

ーー趣味を多くお持ちで。多才ですよね!

山西さん
子どもの頃は、沢山習い事をさせてもらいました。歌のほかに少林寺拳法、そろばん、書道(硬筆)、バレーボールをしていました。子どもの頃は背が小さくて、バレーボールでは何も役に立たなかったです。だけど声だけは大きくて(笑)。自粛期間中はアニメーションに挑戦したり、ヨガ講師の資格を取りました。

ーー憧れの山内惠介さんのコンサートのステージにデビューしてすぐに立たれましたね。新歌舞伎座でのステージ、感想は?

山西さん
デビューして間もないのに、紅白に7回出場されている山内さんのステージに立たせていただき光栄でした。舞台袖や客席からも見させていただき多くのものを得ることができました。特に山内さんの歌に対するストイックさや信念には見習うことが多く、毎日が学びの場でした。ステージを重ねる度に疲れもあるはずなのに、それを一切周りに見せないところや、終わった後すぐに喉のケアをされていたりと、山内さんのプロ魂や歌に対する向き合い方など本当に尊敬しています。

ーー憧れの女性歌手は?

山西さん
私が高校生の時からファンの島津亜矢さんです。私が高校生の時に和歌山にコンサートで来られたことがあって、ピンクレディの「UFO」を一緒に踊るコーナーで、母が亜矢さんと一緒に踊ったんです。その後わたしもステージに呼んでもらって、涙が止まりませんでした。あの時の感動は忘れられません。島津さんに対しては「憧れ」というより「推し」に近いですね(笑)。

ーーこれからの歌手活動への意気込みや目標は?

山西さん
最近は歌謡曲が多いですが、やっぱり“ど演歌”に挑んでいきたいです。最近、低音が出るようになってきたので、低音ボイスももっと磨いていきたいですね。アカリに改名したのは人の心に明かりを灯せる歌手に…との想いが込められています。私の歌で心が明るくなってもらえるように…磨いていきます!また、ソロデビュー曲からは私の生まれ育った和歌山有田の情景が浮かびます。私を応援してくださった故郷の皆さんへ恩返しもしたいです。水雲-MIZMO-で培った事を活かしながら、アカリちゃんの歌声もいいね!と言ってもらえるよう磨いていきます!応援よろしくお願いします。

本名が明音(アカネ)というのもあり、インタビューでも彼女の朗らかで素敵な笑顔が印象的だった。

公式サイト:山西アカリ オフィシャルサイト | Bitfan

Twitter:山西アカリ Akari Yamanishi official (@AkariYamanishi) / Twitter

instagram:山西アカリ<元・水雲-MIZMO- AKANE>(@akari_yamanishi) / instagram

インタビュー・文・撮影/ごとうまき