山崎ていじインタビュー「これからも様々なドラマを歌にして、元気や勇気を届けたい」

インタビュー

元ボクサーという異色の経歴を持つ演歌歌手・山崎ていじ。2024年2月にはニューシングル「ふたりで夢さがし」を発売した。関西プレスに初登場となる山崎さんに楽曲や自身の歌手人生について語っていただきました。ボクサー、社長から歌手へと転身した山崎さんの人生哲学にも注目です!

力強い応援歌

──今作は不器用な男性を好きになった女性の恋心を歌ったおんな歌です。

山﨑
はい、1人では叶わないけれど、2人なら叶う。手を取り合って頑張っていこう!という歌です。ですがこの歌は、恋人や夫婦だけにこだわらず、男性、女性同士や親子などの関係にも当てはまります。とくに最後の繰り返し“明日はいい日にきっとなる”の部分は、力強い応援メッセージとなっていて、それこそ2024年元旦に起きた能登半島地震への応援歌にもなれば……。歌で元気や笑顔を届けられる歌手でありたいです。
── アレンジやコーラスもとっても明るく華やかですよね。今回も作詞のさわだすずこ先生と作曲の弦哲也先生のお馴染みのタッグですね。

山﨑
両先生のコンビによって手がけていただいたのは今回で11作目。弦先生は毎回愛を持って、僕に合うメロディー作りをしてくださいます。先生とは10歳違うのですが、まるで兄貴のようで、よく一緒に飲みに行かせてもらっています。
山﨑
僕は長年京都を中心に地方歌手として活動してきました。そういった地方の歌手の方たちに「勇気を与えた」「諦めずによくやってきたな」と、10年前に弦先生に言っていたただいたのが印象に残っています。
── MVの撮影秘話や、歌う際のポイントを教えてください。
山﨑
MVは浦安市と門前仲町で撮りました。撮影当日はとても寒くて風が強くて、髪型が崩れないようガチガチに固めました。前作の撮影も風が強くて大変でした。歌うポイントはリズムに乗って明るくノリよく。“夢さがし〜”の部分では「ていじ!」と、合いの手を入れてもらえると嬉しいです!デモテープにも弦先生がご自身で合いの手を入れてくださっていたんですよ。

── カップリングには「浜田ふるさと祭唄」「伊勢街道まつり唄」が収録されていますが、両曲ともメロディーが同じなんですね!

山﨑
そうなんです。僕は島根県浜田市出身でPR大使もさせていただいています。市長ともディスカッションをして、浜田の良いところを書いていただきました。浜田は祭りが沢山あって、魚も米も酒も美味しい。美肌になると名高い美又温泉もある。夕日も最高に美しい……!良いところが沢山あるんですよ。歌を通して浜田の良さを多くの人に伝えていきたいです。

山﨑
「伊勢街道まつり唄」に関しては、事務所が津市にあるので、三重県に恩返しを、という気持ちで弦先生に作曲していただきました。この曲が出来たのがコロナ禍で、落ち込んだ世の中に元気を!という意味もこめられています。まつり歌はライブやコンサートでもとっても盛り上がります。いまではライブなどで「はいから雑技団」がバックで踊ってくれるんですよ。

恥ずかしがり屋だった自分を変えたのはボクシング

── 山崎さんは元プロボクサーで、会社の社長を経て歌手に。とてもユニークな経歴をお持ちですよね。
山﨑
39歳の時に歌手になりました。大工の父の跡を継ぐために建築学科のある大学に入って、大好きなバスケをしようと考えていましたが、受験に失敗。京都にいる兄を頼って浪人生活を送っていました。そこで1つの転機が訪れるんです。「ボクシングの練習生募集中」という電信柱の貼り紙を見て、ボクシングの世界に入りました。ボクシングをしたから、いまの自分があるんですよ。当時の笑い話ですが、決勝まで行ったんです。申し込みが2人で(笑)。結果は僕が準優勝で、優勝した相手がトミーズ雅さんでした。彼とは今でも仲良くさせてもらっています。

山﨑
当時から歌を聴くのも歌うことも好きでした。高校のバス旅行で後ろの席で歌ったのですが、それを聴いた先生が「歌上手いな」と、褒めてくださって。ちょうどNHKのど自慢大会が学校で開催されて、学校の名誉をかけて出るようにと言われたのですが、当時は恥ずかしくて断ったんです。そんな恥ずかしがり屋がボクシングを……。パンツ一丁で殴られたり倒されたりする姿を四方八方から大勢の人に見られることで、人前に立つのが怖くなくなったんです。

会社の社長をやめて歌手の道へ

── ボクシングを辞めて、そこからカラオケ漬けの日々ですね。

山﨑
はい。俺もいつか歌手になれるんじゃないかと夢を抱いてカラオケ大会に沢山出場し、ある時、賞をいただきました。当時は建設会社を経営していましたがとても業績が良かったのでやめようか悩みましたし、周りからは非難の嵐でした。だけどこのチャンスを逃してはならない!歌手の道を進もうと決断しました。
── そして平成13年に「桜川慕情」でメジャーデビュー。
山﨑
メジャーデビューしたものの、とても厳しい世界だということを目の当たりにしました。途中で挫折しそうにもなりましたが、それでも歯を食いしばって頑張りました。やっぱり歌が好きだという気持ちが原動力になっていたのだと思います。ボクシングも建設の仕事も歌手活動においても、いろんな人の助けを借りながらここまでこれました。これからも人との出会いとご縁を大切にしていきたいです。
── 歌手生活28周年となりますが、今後挑戦したいことは?
山﨑
これまで賞は2回いただきましたが、今後は年末の賞レース、さらには紅白歌合戦も目指していきたいです。「ていじさんの歌を聴いて生きる希望が湧いてきた」という言葉をいただくことがあるのですが、本当に嬉しくて……。歌手冥利に尽きます!歌手は代弁者、いろんなドラマを歌って元気や勇気を伝えられる歌手でありたいです。
インタビュー・文・撮影:ごとうまき