カンテレでは、2世代の中国残留邦人の葛藤に迫るドキュメンタリー番組『ザ・ドキュメント 私はナニモノ?~中国残留邦人の80年~』を8月29日(金)深夜1時15分より放送する。
終戦後、中国に取り残された日本人である“中国残留邦人”とその子孫は、2つの国にまたがるアイデンティティーの狭間で「自分は何者なのか」という問いを抱え続けてきた。終戦から80年を経た今、 “中国残留邦人”1世と4世に密着取材し、戦争がもたらした苦悩に迫る。
■祖国に捨てられ、祖国に拒まれた。残留邦人1世が語る80年の苦悩
第二次世界大戦中、中国東北地方(旧満州)に渡った約27万人の日本人。彼らは終戦とともに敵地に残され、飢えと寒さの中をさまよった。番組では、そんな過酷な日々を生き抜いた“中国残留邦人”1世の重光孝昭さん(85歳)に密着。3歳で家族と旧満州に渡った重光さんは、終戦間際の混乱で両親と死別し、中国人の養父母に育てられた。しかし、中国では「日本人」と呼ばれ、1966年からの文化大革命では「日本人のスパイ」と糾弾された。1972年の日中国交正常化後、「日本に帰りたい」という一心で1984年に永住帰国を果たした重光さんだったが、そこで待っていたのは「日本人なのになんで日本語ができないのか」「中国に帰れ!」という心ない言葉だった。中国では日本人として、日本では中国人とみなされ、居場所を見つけられなかった重光さん。「もし戦争がなかったら、私はあなたと同じ日本人ですよ」と悔しさを語る。
■「いてはいけない存在のような気がした」 4世の大学生がたどるルーツ
一方、日本で生まれ育った “中国残留邦人”4世の中村小晴さん(18歳)。“中国在留邦人1世”の曾祖母は戦時中、旧満州で看護師として働き、戦後、中国人男性と結婚した。小晴さんは、物心がついたときから「周りの人と何か違う」と感じてきた。同級生からの何気ない言葉に傷ついた彼女は、いつしか自分のルーツを隠すように。「戦争によって生まれた自分は、いてはいけない存在のような気がずっとしていた」と語る彼女は、自分と向き合うため、初めて一人で中国へ渡ることを決意する。曾祖母が生きた旧満州の地で、小晴さんはこれまで目を向けてこなかった日本と中国の戦争の記憶と対峙する。もう一つの故郷だと思っていた中国で「日本人」として見られる自分。戦争の爪あとを前に、彼女は何を思うのか。曾祖母の足跡をたどる旅は、やがて彼女自身の心を解き放つ旅となっていく。
ウクライナ、パレスチナなど、世界で戦争が絶えない現代において2つの祖国を持ち「自分は何者なのか」という問いにゆらぐ人々は今も増え続けている。アイデンティティの狭間で揺れながらも「自分らしく生きたい」と願う人々の80年の歩みを通して、戦争がもたらすものの実相と、平和の尊さを問いかける。
また、本番組が自身初のドキュメンタリーとなるカンテレ報道センターのディレクター・司紫瑶は、戦後80年の節目に本番組を放送することについて「多くの人にとって戦争は遠い記憶になりつつあります。けれど取材で出会った中国残留邦人1世、そして4世が抱く“私はナニモノか?”という問いは、かつての戦争が残した境界の間で、形を変えながら続いていました。二つの故郷を抱きながら生きる彼らの姿は、個人の物語であると同時に、多様なルーツの人々が交じり合う現代社会の姿でもあると思っています。世界に目を向ければ、国と国の戦争がまだあります。境界で揺れる人々の姿を見つめ、改めて“平和とは何か”を考えるきっかけになればと願っています」と呼びかけている。
担当ディレクター・司紫瑶 コメント全文
戦後80年。多くの人にとって戦争は遠い記憶になりつつあります。けれど取材で出会った中国残留邦人1世、そして4世が抱く「私はナニモノか?」という問いは、かつての戦争が残した境界の間で、形を変えながら続いていました。二つの故郷を抱きながら生きる彼らの姿は、個人の物語であると同時に、多様なルーツの人々が交じり合う現代社会の姿でもあると思っています。世界に目を向ければ、国と国の戦争がまだあります。境界で揺れる人々の姿を見つめ、改めて「平和とは何か」を考えるきっかけになればと願っています。
◇タイトル『ザ・ドキュメント 私はナニモノ?~中国残留邦人の80年~』
◇放送日時 8 月29 日(金)深夜1時15分~2時20分 (※関西ローカル)
◇スタッフ ナレーション:服部優陽
ディレクター:司紫瑶、撮影:粟村文彦、編集:宮村泰弘、プロデューサー:宮田輝美
◇番組公式X(旧Twitter)https://x.com/document_ktv






