誰しも平等にやってくるものが「老い」、遅かれ早かれ必ず訪れるのが「死」である。
しかしどのような老い方をしていくか、死んでいくかなんて誰にも分からない。
本作に“希望”というものはない。介護や認知症といった問題に正面に向き合いリアルに描いているからこそ、胸にずっしりと重くのしかかる。しかし絶望の中にも僅かに優しさや愛も残した繊細な作品でもある。
5月14日に公開された『ファーザー』は日本を含め世界30カ国以上で上演された舞台「Le Pere 父」を基に、老いによる喪失と親子の揺れる絆を、記憶と時間が混迷していく父親の視点から描いた人間ドラマ。
本作の面白いところは、父親の視点で描いているため、現実と幻想が交錯されている。認知症を患った主人公アンソニーとともに鑑賞者も一体化、巧みな手法で挑んだ“新たな映像体験”ができる。
アンソニーの目線、混乱した頭の中をどのような手法で見せているか、時系列を入れ替えたり、同じ役を二人の役者に演じさせたりと巧みな演出で、見る者にも混乱させているのだ。見ている側は何が現実で幻想かが見極めが難しく少し戸惑うかもしれない。
あらすじ
ロンドンで独り暮らしを送る81歳のアンソニーは認知症により記憶が薄れ始めていたが娘のアンが手配した介護人を拒否しトラブルを起こす。ある日アンソニーはアンから新しい恋人とパリで暮らすことを告げられる。しかしアンソニーの自宅には、アンと結婚して10年以上になるという見知らぬ男が現れ、ここは自分とアンの家だと主張。そしてアンソニーにはもう1人の娘ルーシーがいたはずだが、その姿はない。現実と幻想の境界が曖昧になっていく中、アンソニーの真実が明らかになっていく。
主人公アンソニーには名優アンソニー・ホプキンスが演じる。「羊たちの沈黙」以来、2度目のアカデミー主演男優賞を受賞した。アン役に「女王陛下のお気に入り」のオリビア・コールマン。原作者フロリアン・ゼレールが自らメガホンをとり、「危険な関係」の脚本家クリストファー・ハンプトンとゼレール監督が共同脚本を手がけた。第93回アカデミー賞で作品賞、主演男優賞、助演女優賞など計6部門にノミネートされている。
人生100年も必要か?
老い、認知症、介護、介護業界の問題が浮かび上がる
「人生100年時代」と言われるようになってから久しいが、介護の問題については日本だけでなく世界的に問題となっているようだ。
果たしてあなたは本当に100年も生きたいか?私はキッパリと‶ノー″である。
なるべく若くて元気なうちに(欲を言うならある程度孫のお世話をしてから)、ぽっくりと逝きたい。実は昔のように50歳ぐらいで死ぬほうが案外幸せではないかと思う時がある。人類は無駄に長生きしすぎではないかと。
歳をとるとみんな子どものように戻るんだよね。いつしか親と子が逆転する日が来る。子供のように振舞う親、自分の名前や存在さえも忘れられてしまう、悲しみや戸惑い、理解してもらえないことへの悔しさ、絶望。介護や認知症の家族を持ったことのある人であれば誰もが経験した感情ではなかろうか。まだ経験したことのない人もいつか介護をする、または自分が介護される身となる、“明日は我が身”という気持ちで誰しもが見るべき作品なのかもしれない。
それにしてもアンソニー・ホプキンスの演技には驚いた。彼の熱演には思わずもらい泣き。アンソニーの役そのものに乗り移ったかのような名演を超える名演には感動を通り越してもはや恐怖を感じる。天才の演技は間違いなく見る価値ありだ。
ファーザー
文/ごとうまき