村上春樹の「女のいない男たち」に収録された短編「ドライブ・マイ・カー」を、179分の映画化にするにあたり、濱口竜介監督と共同脚本家の大江祟允が物語に肉付け、2021年・第74回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、日本映画では初となる脚本賞を受賞し話題となった。ほか、国際映画批評家連盟賞、AFCAE賞、エキュメニカル審査員賞の3つの独立賞も受賞している。そんな期待の作品が8月20日から全国で公開中。
あらすじ
舞台演出家で俳優でもある主人公の家福(西島秀俊)と脚本家の妻の音(霧島れいか)は一見満ち足りた結婚生活を送っているようだが、妻の夫を見つめる目はどこか空虚であった。さらに妻の音は夫への秘密を残したまま他界してしまう。喪失感を抱えたままの2年後、家福は演劇祭で演出を担当することになり、愛車のサーブで広島へと向かう。そこで出会った妻の不倫相手であった俳優の高槻(岡田将生)や多国籍他言語の俳優たち、そして寡黙な専属ドライバーのみさきと過ごす中で、やがて家福は妻の死、自分自身と向き合うことになるーー。
本作は3時間と長尺で(その長さの理由は観ればわかる)、正直観る人を選ぶ作品でもある。エンタメ要素が強い商業的な作品を好む人には、ただただ退屈な作品になる危険性がある一方で、文学的、芸術的な作品が好きな人にとってはこの上なく美しく、グイグイ惹きつけられる作品だろう。筆者は後者のタイプなので本作の持つ、村上春樹の世界観に共通する物静かさの中に潜む“魔力”にものの見事に取り憑かれ、観賞後はしばらく長い余韻に浸っていた。それも何日もだ。私は本作の持つ不思議な魅力に虜になっている。カンヌで賞を受賞したことにも納得、何度でも観たい作品だ。
ちなみに本作の音楽はベートーベンで統一されているが、題名に引用されているビートルズの曲、「ドライブ・マイ・カー」が使用できなかったという背景がある。
【解説】3つの関係性、ある種の“ぎこちなさ”がやがて美しさへと変わる
前半は家福とその妻との夫婦の生活が描かれている。セックスの最中、オーガズムともに物語が溢れ出すという脚本家の妻は、夫を愛していながらも数々の男と浮気を繰り返していた。家福は妻の不貞を知りながらも見ぬふりをしていたのだが、その理由も後半に明らかに。なにせ二人の会話、語り口からもどこかぎこちなく不自然なのだ。
物語の中盤は妻が死んでからの2年後、広島が舞台となり、妻の不倫相手であった俳優の高槻、専属ドライバーみさきと出会う。また家福が関わる舞台は他言語が飛び交い、ここでも不自然さ、独特の“間”、ぎこちなさが際立っているのだが、これがしっかりとした演劇として成立しているから不思議だ。そして物語のクライマックス、北海道、さらには韓国へと舞台が変わる。北海道の静謐な雪景色の中での家福とみさきとの会話が沁み渡る重要なシーンでは二人の“魂の触れ合い”を感じずにはいられなかった。
寡黙なドライバー役の三浦透子といえば新海誠監督作品「天気の子(2019)」での主題歌でRADWIMPSの野田洋次郎とともに歌っていたことで記憶に新しいが、まさか演技もここまで優れているとは思わなかった。本作のキーパーソンであり、家福との静かな交流から彼の人生に影響を及ぼすという難しい役どころを見事に演じ切っている。
家福と高槻の車の後部座席での対峙、家福とみさきとの車中での会話、家福が演出するチェーホフの「ワーニャ叔父さん」でのワーニャ叔父さんとソーニャのやりとり・台詞が、本作の伝えたいメッセージである。
なんといっても広島、北海道の景色、映像が美しい。また、おしなべて淡々とした語り口で物語は進んでいくが、これが癖になる魅力となって、片時も物語の瞬間を見落とすまいと凝視してしまう自分がいた。北海道の雪道の中で車を走らせるシーン、敢えての無音で雪の静けさを表現した手法がたまらなく好きだ。
ドライブ・マイ・カー