【インタビュー】川崎鷹也、初となる「日本武道館&大阪城ホール」への挑戦。すべてを歌に乗せて“夢の続き”へ。

J-pop

シンガーソングライター・川崎鷹也の勢いが止まらない。現在開催中の全国ツアーは累計約3万人を動員し、全公演が瞬く間にソールドアウト。そんな熱狂の渦中にいる彼が、次なるステージとして発表したのは、自身初となる日本武道館、そして大阪城ホールでの単独公演だった。かつて、ライブハウスにお客さんが数人しかいなかった「ゼロ距離」の時代。睡眠時間を削ってギターをかき鳴らし、先行きの見えない不安と戦っていた若き日の彼は、いまの景色をどう見つめているのか。

「僕一人だけの夢じゃない」

そう語る瞳の奥には、共に歩んできたスタッフやファンへの深い信頼、そして父として、表現者として、守るべきものが増えたからこそ生まれた「新しい覚悟」が宿っていた。J-POPシーンの最前線を走りながら、どこまでも人間臭く、泥臭く、愛を叫び続ける川崎鷹也。聖地への切符を手にした彼に、下積み時代の葛藤から、楽曲に込めるリアリティの真意、そして父としての素顔まで、その胸中を深く紐解きました。

初の「聖地」を目前に――「1人だけの夢じゃない」

――現在開催中の全国ツアー『夢の中』、累計約3万人動員という規模でありながら全公演ソールドアウト。さらに5月には、追加公演として川崎さんにとって初となる大阪城ホール、そして日本武道館でのステージが控えています。今の率直なお気持ちを聞かせてください。

川崎
全国ツアーを全力で駆け抜けてきて、その追加公演という形ではあるんですけど、武道館も大阪城ホールも僕にとっては初めて立つ単独のステージ。やっぱり緊張感はありますね。これまでのツアー本編の流れを踏襲しつつも、また新しい、次につながるようなステージにできたらいいなと思っています。

――ファンの方々にとっても待ち望んだステージだと思います。発表した際、皆さんの反響はいかがでしたか?

川崎
僕とファンのみなさんって、距離感がすごく近いんですよ。関わり方も、愛の注ぎ方も。だから発表したときは、自分のことのように喜んでくれる人がたくさんいて。「待ってたよ」って、親か親戚かというくらい温かい声をかけてもらいました(笑)。僕の苦しかった時代を知っている方も多いので、一緒にそのステージに立てるような感覚が、すごく嬉しいですね。

――下積み時代、お客さんが少ない中で悔しい思いをされた経験も、今のこの「夢のステージ」への思いをより強くさせているのでしょうか。

川崎
そうですね。音楽をやっている人間なら、誰もが一度は憧れる場所ですから。当時、お客さんがいなかった頃の僕は、正直ここまで想像できていませんでした。でも、ここまで歩む中でいろんな人と出会って、仲間が増えていった。今は、僕と同じ熱量で「一緒にあのステージに立ちたい」と思ってくれるスタッフがたくさんいます。僕一人だけの夢じゃない。そこが昔とは一番違う、今の僕の強みかもしれません。

「父」として見せる背中と家庭でのバランス

――川崎さんの楽曲には愛や生活のリアリティが溢れていますが、プライベートでは二児の父。守るべきものが増えたことで、楽曲制作や人生観に変化はありましたか?

川崎
僕はデビューから一貫してリアリティのある歌詞を書くことを心がけてきましたが、それは今も変わりません。ただ、生活していく中で感じる「伝えなきゃいけないこと」の質は、独身時代とは確実に変わりましたね。

――子育てにおいて、特に大切にされていることはありますか?

川崎
妻とのバランスですね。一番意識しているのは、「夫婦で同時に怒らない」ということ。奥さんが怒っているときは僕は怒らないし、僕が怒っているときは奥さんがフォローに回る。家族で暮らしていると、つい二人で一気に言いたくなるタイミングっていっぱいあるんですけど(笑)、そこは言わずもがなで意識し合っています。

――2020年に、会社を辞めて音楽一本に絞るという大きな決断をされました。お子さんが生まれて半年というタイミングでしたが、怖さはなかったですか?

川崎
もちろん、安定していた方がいいだろうとは考えました。でも、自分のために頑張ってくれるスタッフがいて、そして何より、いつか子供が大人になったとき、「父ちゃん、あの時ビビって仕事辞めなかったんだ」とは言いたくなかった。「わからんけど、思い切って辞めてみたぞ」と言える背中を見せることが、子供の人生にとってもプラスになると思ったんです。再就職する覚悟で飛び込みましたが、今振り返れば正解でした。

睡眠2時間の練習漬け。不安を打ち消した「自己流」の時代

――今でこそ「魔法の絨毯」をはじめ多くのヒット曲がありますが、音楽を本格的に始められた専門学校時代は、相当な努力家だったと伺いました。

川崎
あの頃は必死でした。僕はもともとギターが全然弾けなかったので、ひたすら練習、練習。睡眠時間2時間くらいで、自分が寝ている時間に誰かのスキルが上がっていると思うのが許せなかった。今思えばもっと効率の良い方法があったはずですが、自信がなかったからこそ、何かしていないと不安に押しつぶされそうだったんです。

――専門学校時代は、先生の言うことをあまり聞かない異端児だったとか(笑)。

川崎
確信犯ですね(笑)。自分の声の出し方や息の使い方が、いわゆる「学校の正解」にフィットしない感覚がずっとあったんです。授業では「はい」と聞いていても、テストになると一切無視して自分のスタイルで歌う。当時はランキングにも載りませんでしたけど、あの時に自分の感覚を信じ抜いたことが、今の自分の表現につながっているのかもしれません。

言葉の壁を越える愛

――最近では韓国でも非常に人気があり、現地での活動も増えていますね。

川崎
韓国のファンの方は僕の歌詞をすごく深く理解しようとしてくれるんです。「なぜこの言葉なんだろう」と調べて、愛を持って接してくれる。その探求心に、僕自身が気づかされることも多いです。言葉の壁があるからこそ知りたいと思ってくれる、その「愛」を現地で強く感じました。次はぜひ韓国でライブをやりたいですね。

――川崎さんの楽曲には「ヒーロー」という言葉がよく登場します。川崎さんにとって、ヒーローとはどんな存在ですか?

川崎
 僕は人生の節目節目で、いろんなヒーローに助けられてきたんです。学生時代も、サラリーマン時代も。その人たちの背中に支えられて今の自分がいる。だから自然と歌詞に出てくるんだと思います。そして、自分もそんな風に、誰かのヒーローになりたい。この世界にはかっこいい先輩や仲間がたくさんいます。彼らに憧れるように、僕も後輩から「憧れる」と思われる存在にならなきゃいけないな、という思いは強いですね。

大阪城ホール・日本武道館のその先へ

――最後に、目前に迫った5月の2公演、そしてその先の未来をどう描いていますか?

川崎
正直、あんまり向こう側は考えていないんです。毎回のライブで、目の前のお客さんに何が届けられるか。それだけを考えて全力で応え続ければ、仲間たちがまた次のステージに引き上げてくれると信じているので。僕はただ目の前のお客さんたちに必死に歌を届けるだけです。ただ、会場が大きくなるにつれてお客さんとの物理的な距離が遠くなる寂しさは、どこかに感じています。僕は下積み時代の「ゼロ距離」を知っているからこそ、大きなステージへの挑戦と並行して、またみんなと近くで向き合えるようなライブも、必ずやっていきたいと思っています。

【編集後記】どんなに会場が大きくなっても、“あなたに向けて歌う”姿勢を崩さない川崎さん。インタビュー中、家族やスタッフ、そしてファンの話をするときの柔らかな表情が印象的でした。初の大舞台となる5月の2公演は、彼がこれまで出会ってきた「ヒーロー」たち、そして共に歩んできたファンへの、最高の恩返しになることでしょう。

インタビュー・文・撮影:ごとうまき