【デビュー20周年、黒川真一朗インタビュー】何度も歌手を辞めようと思ってた。コロナ禍によって初心に戻る「大好きな歌を歌いたい。」

アーティスト

歌手の黒川真一朗が2023年1月25日に新曲「大阪演歌/東京灯り」の両A面シングルを発売。今年でデビュー20周年となる記念曲だ。前作「東京演歌」に続く演歌シリーズは、黒川にとっては初めての大阪もので、歌唱法にも挑戦した渾身の一作。新曲にかける思いや、歌手になるまでのこと、これまでの20年を振り返ってもらいました。

久々にレコーディングで苦戦した「大阪演歌」

——前作「東京演歌」に続いての「大阪演歌」。シリーズ化となるのでしょうか?この歌を歌うことになったきっかけは?

黒川
新曲を出そうとなった時、実は「大阪演歌」は制作されていなくて、「東京灯り」だけがA面の予定だったんですよ。師匠の水森英夫先生から、「東京演歌」に続く演歌繋がりで曲を出していこうとご提案いただき、いいですね!と返したら先生が「大阪演歌」をお出しになって。初めは冗談だと思って、え!?と2度聞きしました(笑)。やはり〇〇演歌を出すのであれば今年に出した方がいいですし、黒川真一朗の作品といえば○○演歌と思ってもらえるようにと、今回歌うことになりました。

今作では、大阪が大好きな伝え手として歌っている

——静岡ご出身の黒川さん、大阪の歌を歌うことに対して最初はどんな気持ちでしたか?

黒川
はじめ、詞は大阪弁で書かれていたんですよ。だけど静岡出身の僕がにわか大阪弁を使ってもイントネーションに違和感が出るので、全面的に標準語に変えてもらいました。また今作は、歌の中の主人公として歌うのではなく、主人公を俯瞰的に見た大阪が大好きな僕という設定です。

——「大阪演歌」を聴かれた時の最初の印象は?

黒川
最初は、水森先生のギターの音色で曲を聴きました。僕の曲はど演歌がなかったので、ついにど演歌を歌わせていただけるようになったと、嬉しいですね。周りからも、“黒川さん、ようやくど演歌を歌われるようになったんですね”といった声を頂きます。

——大阪にはお仕事でもよくいらっしゃるとのことですが、改めて大阪の魅力は?

黒川
食べ物も美味しいし、皆さん温かく情が深いですよね。ファンクラブも大阪にあるんですが、家族みたいですものね。歌詞には宗右衛門町も出てくるんですが、これまで宗右衛門町には行った事がなくって、先日行ってきました。

今作は新たな歌唱法に挑戦!イメージしたのはあの昭和を代表する歌手!!

——レコーディングはいかがでしたか?

黒川
デビューして間もない頃は、レコーディングに4日かかったことも(笑)。さすがに20年歌ってきたこともあり、黒川真一朗の色が出てきたこともあってか、最近はレコーディングもスムーズ。今は褒めてもらえることも多くなってきました。だけど、普段は3回くらい歌ってOKもらえるのに、「大阪演歌」は苦戦しましたね。大阪のイメージと僕の歌唱法が合わずに何回もトライ。そこで春日八郎さんや三橋美智也さんといった昭和の先輩方の歌唱法をレコーディングで真似て歌ってみたところ、一番大阪っぽく歌えることができました。「東京灯り」は、いつもの黒川真一朗の歌唱法で歌っていますし、レコーディングもすんなりと進みました。

——「東京灯り」は、前作「東京演歌」からの繋がりでしょうか。上京した人たちへの応援歌に仕上がっていますね。

黒川
自分だけが苦しいのではない、頑張ろうよ!といった思いが込められています。どちらの曲も鼓舞してくれるようなテーマですが、「東京灯り」の方がクールですよね。「大阪演歌」は人情や温かさが出ていて、歌にも土地の色が出ていますし、ジャケット写真の衣裳も「大阪演歌」は、くいだおれ太郎からヒントをもらって、ストライプ柄で華やかなイメージに。「東京灯り」はシンプルでスマートなイメージでの衣裳となっています。

——特に「東京灯り」の歌詞は、黒川さんご自身も共感できるのではないでしょうか。

黒川
上京して25年、上京当時は辛いことがあっても、周りに相談もできないこともあった。特に″故郷につづく おなじ空″の部分が大好きです。コロナ禍で歌えない時間が続いていた時、みんな今夜の月を見ているんだろうな、なんて思い空を見上げていたので。

書道三段の腕前が光る題字

——そして今作の題字は黒川さんが筆で書かれたとのこと。さすが!達筆ですね。

黒川
実はこれまで何度も字を書かないかって言われてきましたが、字が残るのが嫌でその度に断っていました。だけど今回は20周年ということもあり、書かせていだだきました。A4の紙に一文字ずつ書いているので、あまりバランス良くはないのですが、正直歌うより楽でした(笑)。久々に筆を持つと背筋がしゃんとしますよね。

——今年6月30日(金)には、黒川真一朗デビュー20周年コンサート〜感謝を込めて、心からありがとう〜亀戸文化センター(東京都江東区)で開催されますね。黒川真一朗デビュー20周年記念カラオケ大会も行われるとのこと。

黒川
僕自身が“五木ひろし歌謡コンクール”をきっかけにデビューしたので、今回は僕の歌を歌って、それをきっかけに歌手になる人がいたなら…とか想像しています。とてもワクワクしますよね。今回はカラオケ課題曲が31曲あります。中でも黒川の前の名前で出したデビュー曲で、さらに黒川としてデビュー10周年に再発売した「なみだ雨」は一番思い入れがありますね。

——コンサートは6月、やっとコロナ禍前の光景が見られそうですね。

黒川
コロナが落ち着いてきた頃からライブを行なってきましたが、やっぱり一番嬉しかったのは、皆さんからの“待ってたよ”という言葉。まだ大きな声援などは難しいかもしれませんが、少しずつ、コロナ禍前の状況に戻ってきていると実感しています。久々の大きなコンサート、演歌、歌謡曲はもちろんのこと、ニューミュージックなどにも挑戦しますので、楽しみにしていてくださいね。

——コロナ禍によって黒川さんの内面の変化などありましたか?

黒川
この20年の間には何度か辞めようと思ったこともありました。僕はコロナ禍でも一年に一枚新曲を発売させていただき、今年20周年を迎えると、胸を張って言えることに喜びを感じています。逆にコロナの影響によって、これまで辞めたいと思っていた歌に対して、歌いたい!って強く思うようになったんです。例えば主婦の方が家事が面倒臭い、って思う時あると思うんですが、僕たち歌手も毎日歌って、同じことの繰り返しで、マンネリ化してしまう時もある。そんな中、未曾有のことが起きて、歌えない時期が続いて本当に苦しかった。あぁ、僕はこんなにも歌が好きで歌いたかったんだ、と。初心に戻れた部分があるので、コロナがもたらした影響は悪いばかりではなかったんです。以前は上手く歌わなくては、と思っていたけれど、今は楽しく歌えたらいいなって思っていますね。

子どもの頃から演歌歌手に憧れる

——ところで、黒川さんは歌手になる前はホテルマンをされていたとのこと。もともと歌手になるのが夢だったんですか?

黒川
子どもの頃から演歌歌手になりたいって思っていました。母親が歌が好きで、小さい頃から家の中では演歌が流れています。歌手を目指して、多くのカラオケ大会に出場しましたがことごとく良い結果が出ず、これがダメなら歌手になることを諦めようと出たカラオケ大会が“五木ひろし歌謡コンクール”でした。五木ひろしさんの歌じゃなくて良いって言われたのを鵜呑みにして、他の歌手の歌を歌ってしまったという苦い思い出があります(笑)。

20年の歩みを振り返って

——そして今年でデビュー20周年、改めて振り返るといかがですか?

黒川
振り返ると思い出すのは楽しいことばかりで、あっという間でした。ファンの皆さんに支えられてきたこと、そして師匠・水森先生に感謝しています。水森先生はもともと歌い手、いろんな部分で僕をサポートしてくださるので、心強い存在です。当時働きながら水森先生のレッスンに通っていて、いつの間にか次第に弟子として認められた。先生の最初の印象は怖かったんですが、今では父親のような存在でもあります。

——今後挑戦したいことはありますか?

黒川
8月21日で20周年で、今ちょうど走っているところです。「大阪演歌」を出させていただいたので、来年大阪で、そして故郷でもコンサートができると嬉しいですね。ようやくキャンペーンで大阪にも来れるようになりましたので、もっともっと「大阪演歌」を1人でも多くの人に聴いていただきたいですね。そして〇〇演歌もシリーズ化していけたら…。楽しみにしていてくださいね。

黒川真一朗 | 徳間ジャパン (tkma.co.jp)

黒川真一朗の公式ホームページ (amebaownd.com)

インタビュー・文・撮影/ごとうまき