OverTone、8年間の軌跡に幕。ラストシングル「手紙」に込めた想いを語る

アーティスト

2017年9月、大阪で結成された4人組ボーカルグループ・OverTone。八上和希、GUCCHI、アマノ、NOWAR The 匠の4人が織りなす圧倒的なハーモニーで瞬く間に注目を集め、2022年春にメジャーデビュー。そんな彼らが2025年12月6日、梅田CLUB QUATTROでのワンマンライブを最後に解散することを発表した。8年間の集大成として10月1日にリリースされたラストシングル「手紙」について、そして今の思いをメンバー4人に語ってもらった。

原点回帰――メンバー全員で紡いだ最後の楽曲

――今回のラストシングル「手紙」について、まずミュージックビデオのこだわりを教えてください。

八上
メジャーデビュー1発目の「ゼロ」が全身真っ白の衣装でスタートしたので、終わりもそのストーリーを引き継いで全身真っ白の衣装でやろうとなりました。テーマとしては無垢さを映像で表現しています。


アマノ
ミュージックビデオは僕が監督をしました。思い出や、ファンの人が見たらわかるような内容を織り交ぜつつ、最後はちょっと笑顔になれるように終わりたいと考えて構成しました。これまでの写真やライブ映像も入れているので、昔から応援してくれているファンの方には思い出がよみがえってくるようなMVになればいいなと思っています。


――楽曲制作においても、今回は特別なアプローチをされたとか。

八上
メジャーデビューしてからは基本的にGUCCHIがフルコーラスをプロデュースするというのが定番の形でしたが、インディーズ時代はメンバーの誰かがサビを作って、そのサビの内容に自分のパートのつじつまが合うようにそれぞれが作って当てはめていくというやり方をしていました。今回は久しぶりにその初期の作り方、つまりGUCCHIがサビを書いて、その内容に合わせてそれぞれが自分の歌う部分を書いていく手法を取りました。懐かしかったです。


――編曲でこだわったポイントは?

GUCCHI
ボーカルが立つように意識しました。サビに入るまでは声を重ねず、音を増やさないというところにこだわりました。それぞれが一人で歌っている部分は、声だけが際立って聞こえてくるような曲になればいいなと思って。実はこの曲、サビ以外はハモっていないんですよ。

コロナ禍が変えた風景

――解散を決められた背景には、やはりコロナの影響も大きかったのでしょうか?

八上
もうめっちゃ大きかったですね。コロナが明けてライブをやるってなった時の動員の伸びなさが、こんなに減るかっていうところで一旦落ち込みました。もともと国のガイドラインでキャパの半分でしかやっちゃダメみたいなのがあったじゃないですか。それなのにそのガイドラインにすら届かないという……。単純に恥ずかしい感じにもなりました。


――もしコロナがなかったら、解散しなかったかもしれない?

GUCCHI
それもよぎりましたけど、もしかしたらもっと最悪な結果になっていたかもしれないと思うと……。よかったとは言わないですけど、これも一つの人生というか。コロナがあったおかげで曲も作れたし、もしコロナがなかったら曲も作れてなかったかもしれないし、OverToneが解散してなかったかもしれないし。それはもう、ほんまにタラレバなんで全部わからないですけど、良かったって捉え方もできるというか。

それぞれの決断

――改めて、解散を決められたそれぞれの理由を聞かせていただけますか?

GUCCHI
僕は、やっぱり自分で編曲もやるようになって、ステージに立つより作ってる時に幸せを実感できるんです。朝方までやってやっと寝れるってなった時の感じが、一番「音楽やってんなー」って徐々に感じるようになってきて。そうなってくると、ステージに立つことが一番やりたいことじゃないのに立つべきなのかって長期間悩みました。今後は曲作りに専念して、制作をもっとしていきたいですね。


八上
僕はソロなどもこれまでやったりしてたんですけど、自分一人でどこまでいけるのか挑戦したくなりました。やりたい音楽の種類もいっぱいあって。19歳ぐらいから路上ライブなどをし始めて、22歳でOverToneを結成。音楽人生の8割9割くらいはOverToneでやってきました。今の状態の自分はどの位置まで行けるのかとか、そういうのをすごく考えるようになって。最初はOverToneやりながらでも一人の仕事とかできるよなって思ってたんですけど、そのどっちつかずな感じが結構嫌だなって思って。思い切って一人で踏み出してみようかなっていうのが一番の理由ですね。


アマノ
コロナが終わって再始動できたって時に、来てくれる人が半分以下になってしまって。SNSとかやってても関心が低いなっていうのが分かるぐらいで……。試行錯誤して頑張っていたのですが、どうしても結果がついてこない。もう完全に無理だ、というメンタルになりました。音楽のことを考えるのがしんどいぐらいまでいって……。そのタイミングでの話し合いだったんで、無理だというメンタルに完全になってしまって。そのタイミングでの話し合いだったんで、精神的にも本当に限界でした。匠くんにしか言ってないんですけど、それくらい追い詰められていた時期もありました。

NOWAR The 匠
コロナ前までは調子が良かったのに、コロナ後にsold outできない、また次の目標を掲げるけどそれもできないっていう、思い描いている道からどんどん離れていって……。自分の中でも、このままいったら近々解散の話が出てくるんじゃないかって思ってた中でのGUCCHIからの話で。「マジか、ついに来てしまったか」っていう感じでした。僕も音楽人生の10年ぐらいの中で8割方がOverToneの活動だったんで。OverToneが解散するってなった場合、僕は音楽はやめようって決めていました。自分で言い出すのは怖いし、他の3人の音楽人生もあるから言い出せなかった。


NOWAR The 匠
だけどここ数年で、それぞれのやりたいことが、枝分かれしていってるタイミングでもあったのかなって。だったら、OverToneだけが音楽人生じゃない。GUCCHIはトラックを作りたい、八上は一人で挑戦してみたい、アマノもカメラっていう新しい目標を見つけた。無理に4人で言い聞かせながらやるんじゃなくて、それぞれの道を肯定しながら進んでいくのもいいんじゃないかなと納得しました。

淡路のマンションから始まった物語

――4人で活動してきた中で、一番思い出に残っていることは?

八上
結構いろいろあるんですけど、僕が一番覚えてるのは、OverToneが形成された時。もともとGUCCHIが淡路のマンションに住んでいて、そこでOverToneが始まったんです。GUCCHIはもうそこに住んでないんですけど、GUCCHIのマンションの前にあるスーパー玉出に惣菜を買いに行って、200円ぐらいで一食済ませて、それを食べながら曲を作るみたいなのを数ヶ月やってたんですよ。いつも全くお金がなかったから。僕はその時が、一番OverToneをしていたんじゃないかなって思うくらい鮮明に覚えてます。

GUCCHI
あの時は僕の財布に1000円札1枚入ってて、「金持ち」なんて言われてましたからね(笑)。

NOWAR The 匠
遠征で泊まってたカプセルホテルも、他のお客さんがザコ寝してる中に、それぞれが寝れるスペースを探してね。廊下の明かりが眩しいし、隣の人のアラームがめっちゃうるさいし(笑)。

ファンへの感謝

――ファンの皆さんとの思い出で印象的なエピソードは?

GUCCHI
僕がOverToneになる前とかは、オムニバスのイベントとかに出ても、お目当てのアーティストを見終わったらバーカウンターに行って座り込んで喋ってるとか、ひどかったら客席フロアでずっと喋ってるみたいな経験をしてきたんですけど、ファンの皆さんは、自分たちのライブが終わってもずっとイベントを通して楽しんでるのを見て、良い人たちに応援してもらっているなと誇りに思いました。

八上
コロナ禍前ぐらいまでは、僕らファンの人と友達ぐらいの距離感で近かったんですよね。堺の浜寺公園のプールで絵の具でビショビショ になりながらライブできるみたいなイベントがあったんです。そこで普通にファンの人とプールで遊んでたんですよ、ライブしながら。楽しかったっていう記憶はありますね。でもコロナ禍からどんどんファンの人とのコミュニケーションが路上ライブぐらいでしかなくなったんで、あの時代は楽しかったなって思います。

アマノ
以前名古屋のイベントに出させてもらった時に、「僕らの街」を歌って、その時に皆で大きい輪になって肩組んで歌って。OverToneのファンの人だけに限った話じゃなくて、その会場が一つになったなというか、僕らのファンの人も周りのファンの人を巻き込んで一緒に楽しもうぜってやってくれてたのがめっちゃ嬉しかった。

NOWAR The 匠
どのライブっていうより、解散を決めてからのこの期間の方が考えることも多くて、ファンの人に対する向き合い方とか思うことが多くなりました。僕にとってはその期間が一番濃かったかな。解散発表してからのファン皆さんの言葉が嬉しかった。「謝ってほしくないです」「自分たちの選んだ道の先で後悔してほしくない」など言ってくれて。

最後のステージへ

――11月のツアー、そして12月6日の梅田CLUB QUATTROでのラストライブに向けて、今の気持ちは?

アマノ
セットリストに悩んでいます。セットリストは僕が基本土台を考えるんですけど、どうすればいいんやろって。やっぱり一つのライブでも最初盛り上がってとかそういう流れがあるわけじゃないですか。でも解散ツアーという大前提がある中で、しんみり入るのも違うし、楽しんでいこうぜ!っていうテンションにも多分見てる人はならないなっていう。これまでと全然違いますもんね。だけど、長らく僕らのライブに来てない人もいると思うし、それこそずっと来続けてくれてて「最近あの曲聴けてないんですけど」みたいなのも多分あると思う。それぞれに「この曲聴きたいな」があると思うので、なるべく僕の中では「あの曲聴けへんかった、変な終わり方やったな」っていうのは避けたいなっていう気持ちはあります。楽しいライブにします!

八上
結局いつもと変わらないライブをするのが一番だと思う、最後は。解散ってことすら忘れさせるライブにしないといけないのかなって。

――最終日が梅田CLUB QUATTROというのも感慨深いですよね。

八上
11月のツアーの最終日が東京なんですけど、大阪を拠点に地元大阪でやり続けて最後を東京で終わるのも違うなと。年内、最悪1月にずれ込んでもいいから大阪でどこか土日取れないかって掛け合ってみたら、奇跡的にCLUB QUATTROが12月に取れた。そういう縁なのかな。

――最後に、ファンの皆さんへメッセージをお願いします。

NOWAR The 匠
「今まで信じてくれてありがとう、応援してくれてありがとう、ついてきてくれてありがとう」それが僕たちの一番伝えたい言葉です。ファンの皆さんはもちろん、今まで僕たちと関わってきてくださったアーティストの仲間やスタッフ、関係者の方々に対しても同じ気持ちです。その気持ちを胸に、次のツアー、ラストライブはしっかりファンの方に最後の思いを届けたいです。

インタビュー・文・撮影:ごとうまき