【星陽子インタビュー】自身の半生とも重なる人生の応援歌「長く、大切に歌っていく」

アーティスト

 2023年6月28日に日本クラウンから『春色風車』でメジャーデビューした星陽子さん。彼女は歌手でありながら経営者としての一面も持つ。21歳で結婚後、愛知県春日井市で夫婦で自転車屋を営み、今では人にお店を任せるくらいに成長。そんな“自転車屋の女将”がメジャーデビュー。『春色風車』への思いや歌手デビューするまでの軌跡、今後の野望などを語ってもらった。陽子さんの底抜けの明るさとパワフルさに、こちらも元気に。取材には妻の活動を応援する陽子さんの夫も同席。事務所の社長も交えて、とても賑やかな取材となった。

自転車を彷彿とさせる一節に感動

──『春色風車』を初めて聴いた時、どのような印象を受けましたか?

歌詞の部分の“くるくるくる”、“からからから”を読んだ時、「あれ、私が自転車屋だってこと知ってたのかしら?」というのが、最初の印象です。これまで夫と共に自転車屋を営んでいましたが、商売には浮き沈みがありますから……。歌詞と重なる部分があって、とっても感動したのを覚えています。諦めずにやっていくと、いいことがある、夢は叶うと背中を押してくれる優しい応援歌です。

──作曲の南乃星太先生からは、歌う際どのようなアドバイスをいただきましたか?

魂を込めて歌うように言われました。なので、詞の意味をしっかりと理解して丁寧に歌うように心がけています。とくに、“人は優しい だから 人は傷つくの 誰かの痛み 気づけるように″の部分が好きですね。私もこのようにならなくては!と思います。

── MVの撮影やレコーディングはどのような感じでしたか?

芋虫のイメージで撮影してもらいました(笑)。MVでは100本の薔薇に囲まれて歌っているのですが、その中で私は緑の服を着ていて。芋虫はやがて蝶になるので、未来に羽ばたくというポジティブな意味も込めているんですよ。レコーディングでは、夫と妹夫婦、家族総出で臨みました。レコーディングでは、夫と妹がスタジオに入って歌い、さらに録音もしてもらうという貴重な経験もさせていただきました。

インパクトのあるタイトルに最初は戸惑いも。

──カップリング曲『どうせ、どうせ』は、また雰囲気が違いますね。

まだ詞の意味を理解していなかったので、最初タイトルを見た時に驚いてしまって(笑)。「どうせ、どうせ なんて後ろ向きな感じで嫌です。」と先生に言いましたが、「インパクトがあるんだし、どうせだから『どうせ、どうせ』にしておきなさい。」と言われました(笑)。今は詞の内容をきちんと理解しましたし、口ずさみ易いのでこのタイトルで良かったと思っています。

──この詞については、どのように解釈されていますか?

私は21歳で結婚したこともあり、恋愛経験が少ないので、女性の情念といったものがあまり理解できなくて……、その部分ではあまり私らしくない歌かな。だけど『どうせ、どうせ』のメロディーはカラオケファンに受け入れてもらいやすく、よく歌ってもらっています。

──星さんは自転車屋の一部を改装したカラオケ喫茶も経営されているので、お客さまのリアルな声が聞けますよね。

そうなんですよ。お客さんの声がダイレクトに伝わる。皆さん、歌えるようになったら聴いてほしいってお店に来てくださるんです。今は一番年上で88歳の方が私の歌を歌ってくださっているんですよ。

──2022年3月にはカラオケ喫茶をオープンされましたが、オープンに至ったきっかけは?

自転車屋は私がいなくても店は成り立つくらいになっていました。たまに私が自転車屋に行っても邪魔な感じで扱われるので(笑)。それならば自由が効く。それに、自分がカラオケ喫茶を回って歌うくらいならお店の2階の倉庫をカラオケ喫茶にしようと思い、オープンさせました。そのタイミングでメジャーデビューも果たせました。

ラジオ出演が転期に

──2019年に『五つ星/小さな願い』、2020年に『幾千年の時を超えて〜久遠の恋歌〜/愛が間に合うなら』でCDデビューされています。デビューに至った経緯を教えてください。

これまで1年に自転車2,000台を10年ぐらい連続で売ってきました。ブリヂストン販売店の売り上げ販売数において全国3位を取ったことも。自転車を売るのに、自転車の説明だけしていても売れません。それこそ世間話から入って、乗り方を提案したり、いろんな話をして自転車を売っていくんです。いつしか地元で「自転車屋さんの奥さんが面白い」と言っていただくことが多くなり、ある日地元のFMラジオに出演するお話をいただいて。楽しそうだし、ちょうど自転車屋の宣伝にもなると思い、出演することに。そこからラジオで歌うことになって、その後CDを出すことになりました。

──ラジオ出演をきっかけに世界が広がっていったのですね。

だけど『幾千年の時を超えて〜ク久遠の恋歌〜/愛が間に合うなら』(2020年2月22日)を発売してすぐにコロナ禍に突入、身動きが取れませんでした。それにとてもいい歌で私自身は気に入っていましたが、カラオケ喫茶ではあまり受け入れてもらえなくて……。次の作品はカラオケ喫茶で歌ってもらえる歌にしようと決めました。

カラオケ喫茶で歌ってもらう曲を。

──そしてメジャーデビュー。『春色風車』が生まれたんですね。

ずっとメジャー展開をしたいと知り合いの社長に言っていたのですが、「大変だから」と二回断られました。だけど何が大変なのか分からない。もう一度話をして、三度目の正直でメジャーデビューが決まりました。

── 21歳でご結婚されて、ご夫婦で自転車屋を大きくされましたが、歌手への憧れはずっとお持ちだったのですか?

アイドルに憧れた時代もありましたが、それも中学生くらいまででしたね。新聞にいつも載っていた芸能プロダクションに小泉今日子さんの歌をカセットに吹き込んで送りました。そしたら不合格。だけど歌うことは好きで、カラオケボックスにもよく行っていました。歌手にどうしてもなりたくてなったわけでもなく、人生の流れに乗った感じなんですよ。

自転車屋に人生捧げた20年、これからは自分の好きなことを。

── そう考えると星さんの人生もドラマティックですよね。人生って何が起こるかわからない。

これまで自転車屋を大きくすることに必死でしたし、自転車を通していろんな人と関わり、教えていただきました。今思うと、もう少し人生を楽しめば良かったかな、という思いもあります。そのあと病気をして2、3年調子が悪くて、「元気になったらこれまでとは違ったことを、好きなことをしよう」と思っていました。そんな矢先にラジオ出演のお話をいただいたので……。ラジオ出演がなかったら、世に出ることはなかったと思います。

── 大阪のキャンペーンでもこうしてご主人が同行してくださって心強い。

「これまでずっと僕の自転車屋を手伝ってくれたから、今度は逆に僕が応援する。」と、言ってくれています。義理の両親も、歌手になると言った時は驚いていましたが、お義母さんが「神様が好きなことをやりなさいと、応援してくれているんだよ。」と言ってくれて。『春色風車』を聴いて両親は、昔を思い出して涙してくれたんですよ。次から次へといろんなことをする嫁を見て、義理の両親も楽しんでくれています(笑)。

── 20年間商売をされてきてその後、歌手デビューという新たな人生を歩まれていますが、今どのような気持ちですか?

売れたいという気持ちももちろんあります。だけど売れた先はどうなるかまだわかりません。それよりも“歌を広めないといけない”という使命感の方が大きくて。こんなにいい歌をもらったし、地元での評判も良い。だったらもっと全国に行って、この歌を少しでも多くの人に聴いてもらい、歌ってもらいたいという気持ちが強いです。そして、今は多くの人に私の名前を覚えてもらうことが大切。この素敵な曲『春色風車』をじっくりと歌って育てていきたいんです。歌う際は、風ぐるまをお客さんに渡しているんですが、一緒にお客さんも口ずさんで喜んでくださるので、その風景を見るのも楽しいんです。

──ズバリ、星さんの格言は?

“テンション高く、腰低く”。お客さんからは「陽ちゃん、売れても天狗にならないでよ。」と売れる前から言ってくださっていますが、私は根っからの商売人、天狗になるようなことはありません。だけどプライドは持っていたい。これからも“テンション高く、腰低く”、プライドは保ちながら活動して行きたいです。

 

インタビュー・文・撮影:ごとうまき