【天童よしみの“これまで”と“これから”】歌手生活50周年「今後も“表現者”として、活躍の場を広げていきたい」

天童よしみ
アーティスト

人気、実力共に演歌界のトップクラスの天童よしみが、今年歌手生活50周年を迎え、記念シングルの発売や記念コンサートの開催など、2022年に様々な活動を行ってきた。そんな天童さんにインタビュー。現在、天童よしみの意欲作となる50周年記念シングル第二弾『帰郷』と、50周年記念オリジナルアルバム『帰郷』が発売中だが、本記事ではシングルとアルバムについて、そして天童さんの“これまで”と“これから”を訊いた。天童さんの聴く人の心を揺さぶる歌声と、国民に愛される人柄、その背景には彼女のある強い覚悟と両親の愛があった。

皆さんに“ありがとう”、故郷に育ててくれて“ありがとう”と伝えたい。

——本間昭光さんが『帰郷』(シングル、オリジナルアルバムともに)でのプロデュース、楽曲制作をされたとのことですね。

天童さん
同じ大阪八尾市出身で小中学校の後輩である本間さんの活躍ぶりは以前から知っていました。5年前に本間さんから『八尾フェス』にお声がけいただいたのがきっかけ。私も一緒に立ち上げ、コンサートをしました。それをきっかけに、私が新しいことをする時にはお力を貸してほしいとお願いしていましたが、なかなか実現できず。やっと今回、本間さんにプロデュースしていただきました。『帰郷』は、50周年に相応しい歌。愛する八尾の風景、情景、香りが詰まっています。聴いてくださる皆さまそれぞれの故郷とも重なるみたいですね。レコーディング時も、本間さんと2人で八尾の話で盛り上がって、笑ってばかり。レコーディング本番中に思い出し笑いするほどの、楽しい時間を過ごしました。

大阪でチャンスを掴んできた

——故郷・八尾は天童さんの原点、『帰郷』はこれまでの感謝が込められた歌なんですね。

天童さん
14〜15歳で上京し、天童よしみとしてデビューしましたが、20歳目前で八尾市に帰ることに。もっと東京で頑張りたかったのに、本当に悔しかった。だけど、希望を捨てずに10年近く大阪で頑張っていたら転機が訪れ、『頓堀人情』で花開きました。そして『酒きずな』で、1993年にNHK紅白歌合戦に初出場。私は大阪でチャンスを掴んだことが多く、まさに私の原点。『帰郷』は思い出が沢山詰まった歌なんです。

——『帰郷』の曲を初めて聴かれた時の心境と、歌う上で意識されていることは?

天童さん
これまでパワフルに歌う曲が多かったのですが、今回は柔らかくて優しい曲。こういった曲調を歌うことも、新たな天童よしみのスタートなんだと実感しました。これまでの50年の歩みを思い出しながら、お世話になった方々に感謝の気持ちを込めて歌っています。

——「日本作詞大賞」にノミネートされるなど、歌詞もとっても魅力的で美しいですね。作詞を手掛けられた松尾潔さんとは初めてお会いされたとのことですが、どのような方ですか?

天童さん
とても素敵な方です。これまでにも多くのアーティストの方たちをプロデュースされていらっしゃいます。音楽そのものに対する造詣も深く、なんでも知ってらっしゃる。様々な曲を引き出してきて、“天童さんの声でこの曲も、あの曲も聴きたいと思っていました”と言ってくださった。本間さんと松尾さんと3人で話す時は、笑いバナシばかり、本当に楽しいんです。

オリジナルアルバム『帰郷』について

本間昭光プロデュースのオリジナルアルバム『帰郷』(11月16日発売)。本間さんの呼びかけによって集まった作家陣は、水野良樹、TAKUYA、若旦那、一青窈などと、超豪華。さらに、アニメの分野で大活躍する降幡愛、松井洋平、太田雅友らも製作に加わり、天童さんとのコラボレーションが実現!様々なジャンルの作家陣13名が、天童よしみのチャレンジをサポート。幅広いジャンルの10曲が収録されている。

幼少期の思い出の操車場が歌に

——アルバム曲の中で印象的な曲はありますか?

天童さん
『操車場の町』は特に印象的ですね。この曲は八尾にあった国鉄の関西本線の操車場を描いた歌です(1997年に廃止)。本間さんと操車場の話で盛り上がり、山田ひろしさんが歌詞を、本間さんが作曲してくださいました。当時は竜華鉄道と呼ばれていて、貨車と貨車が連結するところに興奮したり、電車の中で遊んだりと本間さんも私も操車場での思い出がいっぱいなんです。私たちそれぞれが経験したことが歌詞となっていて、完成した曲を聴いた時、涙が止まりませんでした。歌詞の中で“いないいないばあの町”とあるように、あの頃、一緒に遊んだ友達も、その場所には誰もいない…。YouTubeで調べたんですが、線路を辿っていくと、新しくなった八尾市立病院から竜華鉄道が続いていたりと、色んな発見がありました。聴いてくださる皆さまも一度調べてもらえたら嬉しいです。

——年末はNHK紅白歌合戦に出場(27回目)、第64回「輝く!日本レコード大賞」では特別顕彰を受賞され、50周年記念に相応しい、より素晴らしい年末となりそうですね。

天童さん
紅白歌合戦らしく、そして私も50周年なので、ド派手に豪華にできたらいいな、と思っています。レコード大賞での特別顕彰は石川さゆりさん、松任谷由実さん、私と50周年トリオで賞をいただきました。私、ユーミンのことが大好きなんです。ユーミンさんのカバー曲を収録したアルバムがあって、紅白出場時に“アルバム聴いたよー”ってユーミンさんが言ってくださり、私も”嬉しいー“って言って、ハグだけで終わってしまった。次回は彼女に“大好き“って伝えたいです。石川さんとは同じテイチクレコード、みんながいるから頑張れるんです。

美空ひばりさんに憧れてこの世界へ

8歳の時に子役として、大阪・新歌舞伎座で美空ひばりさんと同じ舞台に立ち、美空さんに憧れ、歌手を目指したという天童さん。その歌手生活は山あり谷あり、挫折や困難があったという。

——数多くの困難を乗り越えて来られた天童さんの支えや軸となっていたものはなんですか?

天童さん
両親の存在です。私は子どもの頃から父と一緒に歌を歌ってきました。私を歌手にさせる!という強い思いがあったので、父はとても厳しかった。そんな父に対して、時には様々な葛藤もありました。母が父に、私に怒らないようにお願いしてくれたりもした。それに対し父は、“よしみは根性のある子。怒れば怒るほどやっていける子なんや”と。あの厳しさは、私が厳しい世界に打ち勝っていくための、父の愛だったんですよね。あとは父と一緒に歌って、楽しく過ごす時間が本当に幸せでした。両親には大感謝。父はもうこの世にはいませんが、時々ステージに立っても、テレビの番組に出ても、“お父さんに見て欲しかったな”と思う瞬間が多々あります。だけど、絶対どこかで聴いてくれていると信じて、いつも手を合わせています。

——歌手として生きていくと、覚悟を決められたのはいつですか?

天童さん
28歳の時でした。周りの友人は結婚していて、子どもたちはどんどん大きくなり、幸せな家庭を築いている。一方で自分は、独身で出産もしていない…。当時は女性の幸せは結婚や出産とされていた時代でしたから。だったら私は、その幸せは追わず、“歌手としての幸せ”この一つを追っていこうと…。歌と一緒に生きると、覚悟を決めたんです。

“表現者”として幅広い活動をしていきたい

——最後にメッセージと、これからの意気込みをお願いします。

天童さん
ファンの皆さまや関係者の皆さま、そして両親、私に携わってくださった沢山の皆さま、50年間ありがとうございました!という、感謝の気持ちでいっぱいです。しかし、50年経ったから、ゆっくりと…なんて、これっぽっちも思っていません。もしかして、これから大変な時期に入っていくのかな?とも思ったりもしますが、それがまた刺激にもなります。また新たなスタートを切る気持ちで、どんどん挑戦していきたい。今後は、もちろん歌も中心に活動していきたいですが、お芝居や舞台にも積極的に取り組める天童よしみでありたいです。

12月12日(月) は「ホテル日航福岡クリスマスディナーショー」が、12月17日(土)「サンパレス六甲2022クリスマスディナーショー」が開催される。さらに、2023年2月4日(土)には、すばるホール(大阪・富田林)にて「天童よしみコンサート2023」が開催!そして、1998年に“魔除け人形”として大ブームとなった天童人形・よしみちゃんキーホルダーが24年ぶりに、装いを新たに復活!!テイチクオンラインまたは、コンサート会場即売以外では手に入れることができない限定販売キーホルダーだ。

常に挑戦し、新たな取り組みを展開していく天童さん。これからも抜群の歌唱力と表現力で、私たちの心を揺さぶり、感動を与え続けてくれるのだろう。天童よしみの“これから”に注目していきたい。

天童よしみ公式サイト:天童よしみ 公式サイト (yoshimi-tendo.com)

インタビュー・文・撮影/ごとうまき