アイルランド発 社会派映画『サンドラの小さな家』

(C)Element Pictures, Herself Film Productions, Fís Eireann/Screen Ireland, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute 2020
エンタメ

誰しもが自分の夫(妻)がまさかモラハラ、パワハラ、身体的・心理的暴力をする人だと思って結婚なんかしない。結婚前はあんなに優しかったのに、入社した会社が入社前と全く違う!なんてこと、ざらにある。

DVだけに限らず、いじめやブラック企業、パワハラやジェンダーハラスメント、セクハラなどをはじめとするあらゆるハラスメントなど、過酷な環境に長く身を置くと、慣れが生じて分別ができなくなってしまう。とある一部上場企業(ブラック企業との噂)の役員に『ブラック企業って言うけど一体何がブラックなの?』と言われたことがあり、あまりの昭和っぷりな思考と発言に唖然、あー、このオジサンは長年に渡って洗脳されてきた人なんだなと、むしろ彼を哀れんだ。

怖いところは、人間って良くも悪くもその環境に慣れてしまうところだ。思考停止、“逃げる”ことさえもできなくなってしまう。

 

前置きが長くなったが、本作は夫からの過酷なDVから逃げ出した若い母親と娘たちが自分たちの手で家を建て、彼女に携わる人々との関わりや優しさによって自分自身を立て直していくというお話。

はじめに言っておくと予告編のイメージとは違い、決して感動ストーリーではなくほんのり温かみを残した”社会派映画”である。ラスト15分は思わぬ展開で衝撃的だ。人が崖っぷちに立たされた時、藁にもすがる思いでどういった行動をするかーー。主人公の場合は“自分で家を建てる”という選択だった。

本作からは、差別や貧困などの社会問題に焦点を当てた『私はダニエル・ブレイク』『家族を想うとき』などのケン・ローチ監督作品を彷彿させる。DV、司法の不平等に加え、アイルランドの住環境の問題などを提起した作品。後の監督インタビューでフィリダ・ロイド監督は「心に傷をもっている女性が、一歩踏み出して、自分の人生を作り上げる話」「コミュニティから切り離された女性が、自身でコミュニティを得る話」と語っている。

(C)Element Pictures, Herself Film Productions, Fís Eireann/Screen Ireland, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute 2020

あらすじ

舞台はアイルランド・ダブリン、2人の幼い娘を連れてDV夫のもとから逃げ出したサンドラ。しかし公営住宅は長い順番待ちで、ホテルでの仮住まい生活から抜け出せずにいた。そんなある日、サンドラは娘との会話から、小さな家を自分で建てるアイデアを思いつく。ネットでセルフビルドの設計図を探し出し、サンドラが清掃人として働く家のペギーや建設業者エイドの協力を得て建設に取り掛かるも、鬼畜のような元夫に妨害される。「マンマ・ミーア!」のフィリダ・ロイド監督がメガホンをとり、舞台を中心に活躍する女優クレア・ダンが脚本・主演を務めた。「つぐない」のハリエット・ウォルター、テレビシリーズ「ゲーム・オブ・スローンズ」のコンリース・ヒルが脇を固める。

(C)Element Pictures, Herself Film Productions, Fís Eireann/Screen Ireland, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute 2020

本作のポイント

“メハル”(アイルランドの言葉)助けることにより自身も助けられるというアイルランドの思想が描かれてある。

本作に描かれているのは、“家を建てる”という建築作業ではなく、そこに至るまでの周りの人達との関わり、娘二人の言葉、シングルマザーの苦労などに加えて、DVや被虐待者、被虐待児にまつわること、身体的・心理的暴力やパワハラ・モラハラが、どれほど人に、また成長段階にある子どもに影響を与えるかについても詳しく描かれている、と同時に“本質を問わない” “上辺だけ” 無理解・無配慮な司法や行政の在り方の描写からも目が離せない。

(C)Element Pictures, Herself Film Productions, Fís Eireann/Screen Ireland, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute 2020

ドメスティック・バイオレンスは世界的な問題

本作の主人公は行政から用意された狭いホテルに住み、娘二人を育てながら二つの仕事を掛け持ちしている。劇中では幾度なく元夫からの恐ろしいDVがフラッシュバックし心身共に苦しめられている様子が描かれている。

内閣府の調査によると、2020年4月から11月までに全国の自治体が行う「配偶者暴力相談支援センター」と去年、内閣府が開設した「DV相談プラス」に寄せられた相談件数は合わせて13万2355件と過去最多、前年の同時期に比べて約1.4倍から1.6倍の水準で推移し、新型コロナウィルスの影響により自宅にいる生活が増えたことによってDV被害は拡大している。※「配偶者間(内縁を含む)における犯罪の性別被害者の割合(平成30年・検挙件数)」によると、総数(7667件)の内、90.8%が女性被害者、9.2%が男性被害者となっている。

命からがら加害者から逃げたものの、身体的、精神的暴力によって被害を受けた人々の多くが後のフラッシュバックにより苦しまれている。

(C)Element Pictures, Herself Film Productions, Fís Eireann/Screen Ireland, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute 2020

とにかく逃げること、助けを求められるコミュニィを増やすこと

昔の日本が作り出した“我慢教”は捨て去るべき。この会社、この男(女)ヤバイと思ったら即辞める、別れるが幸せへの近道だと。いじめやブラック企業、DVなど、これはおかしいと思ったら一目散に逃げるべき、環境を変えるべきだと誰もが言うけれど、だけど当事者にとっては容易いことではなく、この部分が難しい。

この世は諸行無常よ。

仕事も、結婚も、人生も、何が起こるかわからない。物語に沿って“結婚”をテーマにして言うならば、本人たちは上手くいっていても外的要因や思わぬ災いによって数年後離婚する可能性は今の時代は低くない。中には金銭的な問題で別れたくても別れられない人もいるため、特に女性は結婚しても仕事は続けること、自分の食い扶持は自分で稼げるようにしておくこと、助けを求めることのできるコミュニティをいくつか確保しておく(所属しておくこと)が最善の策ではないかと(現代の女性は結婚後も働くのが大多数なので、今更言うことでもないが)。と、結局何の解決策も提示できない。悲しいかな、自分の身は自分で守るしかないのよね。

だけど人間傷ついてボロボロになっても、再び立ち上がることができる。守るべきものがあるなら尚のこと。世の中捨てたものではなく、手を差し伸べてくれる人もいる、素直に「助けて」と求めることも大事で、本作からは絶望からの僅かな希望も感じられた。

(C)Element Pictures, Herself Film Productions, Fís Eireann/Screen Ireland, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute 2020

サンドラの小さな家

監督:フィリダ・ロイド
脚本:クレア・ダン マルコム・キャンベル
キャスト:クレア・ダン、ハリエット・ウォルター、コンリース・ヒル
製作:2020年製作/97分/G/アイルランド・イギリス合作
原題:Herself
配給:ロングライド
文/ごとうまき