【梅谷心愛インタビュー】目指すは令和の美空ひばり、愛されて歌い継がれたい「まずは人としての土台を確立する」

アーティスト

 小学生の頃から多くの歌番組に出演し、数々のカラオケ大会で優勝を収めてきた令和の昭和歌謡少女・梅谷心愛(うめたに こころ)。今年3月に中学を卒業し、2023年7月5日(水)遂に歌手デビューを果たした。磐越西線を旅する 少し背伸びをした失恋歌『磐越西線ひとり』と、等身大ソングでもある『あこがれ橋』が収録されている。今回は梅谷心愛にインタビュー。楽曲のことや家族のこと、プライベートについても深掘りした。“美空ひばり/昭和歌謡博士”として異名をとるほど美空ひばり愛が強い彼女に、改めて美空ひばりの魅力も語ってもらった。しっかりとした受け答え、アイデンティティの確立、高校1年生とは思えぬしっかりぶりに圧倒され通しの筆者。梅谷さんから沢山学ばせてもらったインタビューでした。

『磐越西線ひとり』の舞台にもっと足を運びたい

── 梅谷さんは福岡ご出身とのこと。デビュー曲『磐越西線ひとり』の磐越西線は福島の郡山市から新潟までをつなぐ鉄道を描いた歌ですが、どういった繋がりがあるのでしょうか?

梅谷
作詞の石原信一先生が福島県ご出身で、作曲の弦哲也先生も福島県と深い関わりがあるとのことで、福島を舞台にした曲を作っていただきました。はじめ聴いたときは、背伸びをしたような歌詞だと思いましたが、実は等身大で書かれているなと。曲をいただく前に、石原先生とこれまでの私の活動や自分自身の事をお話して、そこから綺麗に作り上げてくださいました。特に“わたし初めて ひとり旅”の部分に私っぽさを感じます。1人が好きで、こういった旅に出るのが好きなんですよね。また“迷路みたいな トンネルを 抜けて明日(あした)が みつかりますか”の部分は、コロナ禍で思うように活動できなかった私の心境を詩的に書いてくださっています。 

── 歌う際に意識されている部分を教えて下さい。

梅谷
大好きな弦哲也先生の作曲。とても難しいメロディではありますが、ダイナミックでレトロっぽさも感じられる楽曲。弦先生には言葉のアクセントや強弱といった言葉を伝えるということの他、小節などの歌のテクニックについて幅広く指導していただきました。1番、2番までは暗く重く歌っていますが、3番からは主人公が前を向く様子に合わせて、磐梯山に夕陽が差し込んでいる情景を思い浮かべながら意識して歌っています。 

── 歌詞にあるように、人は失恋するとなぜ北へ行くのでしょうね。これまでの演歌や失恋ソングはほとんど舞台が東北や北陸です。

梅谷
北の寒さや寂しい感じが自分の気持ちに寄り添ってくれるんじゃないかって思うんです。最近福島県に行かせていただくことも多く、この間初めて磐越西線に乗りました。そこで改めて歌の主人公の気持ちに寄り添ってみたり。また、福島県の景色の美しさ、緑の多さにも驚き、自然の恵みをたっぷりと受けました。これからも福島県にどんどん足を運んで「磐越西線ひとり」を1人でも多くの人に覚えてもらいたいですね。 

── MVの撮影では、奇跡的に雨が上がったと聞きましたが。

梅谷
当日大雨が降ってしまったんですが、猪苗代湖で撮影をするときに雨が止んで、美しい夕陽が迎えてくれて感動しました。MVの頭には幻想的な磐梯山が映っていますが、これは朝の5時に撮影したものです。 

レコーディングでは苦戦

── カップリング曲『あこがれ橋』についてもお聞きします。この曲はまさに梅谷さん自身を描いた歌だと思いました。

梅谷
背伸びせず、等身大の私を歌った曲です。地元・福岡から上京する時の私の心境が描かれ、夢に向かって奮い立つワクワク感と不安な気持ちが入り混じった心境を歌っています。あこがれ橋は実在しない橋なので、聴く方がそれぞれにその世界をイメージしてもらえたら。『磐越西線ひとり』とは全く違った曲調ですが、どちらもメロディが細かくて難しかったですね。 

── レコーディングでの印象的なエピソードなどありますか?

梅谷
とにかく緊張して臨んだ初めてのレコーディングです。これまで沢山練習を積み重ねてきたので、ここで結果を出さないと、これまで支えてくださった方に申し訳ないと思っていて、その気持ちが緊張とプレッシャーになって表れ、1回目、2回目の歌は聴いていられないくらい酷かったんです。そんな私を見て、石原先生と弦先生は優しく声をかけてくださいました。 

コロナ禍で活動できなかった1年半、家族で支え合ってきた

── 歌手を目指したのはいつ頃からですか?

梅谷
小学校5、6年あたりでしょうか。それまでは皆喜んでくれるし、ただ歌って楽しいという感覚でした。その頃テレビにも出演させてもらっていて、いつしか自分の進路を真剣に考えるようになりました。プロとして歌をやるしかないと。 

── そして小学校を卒業して家族で上京、今年で4年目とのことですが、上京してすぐにコロナ禍、活動が思うようにできなかったとのことですが。

梅谷
父は仕事を、姉と妹も学校を変えて、家族全員で上京してきました。引っ越してすぐに緊急事態宣言が出て、レッスンは受けることができない、家から出ることすらままならない状況。徐々に焦燥感や不安が出てきました。不安になる家族の様子も見てとれて辛かったし、申し訳なかったですね。私が支えないといけないのに、このまま活動をせずに帰るのではないかと……。だけど、家族仲はとても良く、そういったことも溜め込まずに話し合って支え合ってきました。 

── そしてやっとデビュー。初めてお話をいただいた時はどんな気持ちでしたか?

梅谷
急にお話をいただいたので、今からなんだ!と、少し驚きました。とはいえ、1年半はしっかりと自分に向き合い、取り組んできたので、ドンと構えることができたのではないでしょうか。ただ、まっさらな曲を自分色に染めていくという作業は緊張しました。あの1年半がなかったらここまでチャレンジしようとは思わなかったし、自分や家族とも向き合うことができなかったと思うんです。ただただ、流されるようにやっていたのかな……。 

──上京したばかりの頃は東京の街に刺激や衝撃を受けたのでは?

梅谷
まずは人の多さにびっくりしました。東京は裏道が多いので、迷子になることもありました。今はいろんなものを駆使して、東京の生活にもなんとか慣れてきましたが、まだひとつだけ慣れないのが、お出汁や醤油の味です。福岡とは全く違うので(笑)。 

歌が支えに

── いま、家族以外で支えになっているものはありますか?

梅谷
やっぱり歌ですね。辛くなったら1人になって好きな歌を聴いて、リラックスして、また自分を奮い立たせる。いつもどんな時でも歌に支えられています。私の曽祖母はカラオケが大好きで、物心ついた時からカラオケに連れて行ってもらい、子どもの頃から演歌、昭和歌謡を聴いていました。 

── そして美空ひばりさんの魅力を知るのですね。改めて美空さんの魅力を教えてください。

梅谷
小学校2〜3年の頃に見た「不死鳥コンサート」のDVDでの『みだれ髪』を歌うシーンで号泣。ひばりさんの儚さの中に真の強さを感じて惹かれました。美空さんは声はもちろんのこと、曲によってテクニックを使い分けられるところが凄くて。表情も歌によって変化するんです。例えば主人公が男性の時は男性的な顔に、幼い子が主人公の歌はお茶目であどけない表情をされます。その他にも、絶望からの希望を描いた歌では表情が変化していく。まるでドラマを見ているかのような気持ちになり、グッと心を掴まれます。美空さんの生き様そのものが素晴らしいんです。 

── 目指すところは、やはり美空ひばりさんでしょうか?

梅谷
ひばりさんのように愛されて歌い継がれるような歌手になりたいです。その為には、歌のテクニックや感性を磨いていくことはもちろんのこと、まずは人としての土台を確立しなければと思っていて……。というのも考えがコロコロ変わるとそれに対応できない自分に疲れてくると思うんです。まずは目標とする人を定めて、その人の生き方を見習いたいです。 

── 美空さん以外にもいらっしゃるのですね。

梅谷
はい、市川由紀乃さんに憧れています。小学校5〜6年の時に市川由紀乃さんの初座長公演に出演して歌わせていただきました。市川さんの裏表のなさ、分け隔てなく人に接することのできるお人柄、品の良さ……人間性に魅了されました。私も歌だけでなく人間性も磨き、精進していきます。そして今年はレコード大賞新人賞が取れたら……!応援のほどよろしくお願い致します。 

インタビュー・文・撮影:ごとうまき