【加藤登紀子インタビュー】歌は生き延び、国境を越えていく「12月で80歳!あらゆる瞬間を楽しまないと!」

アーティスト

  「自分の好きなようにやれば良いのよ、そう思うようになったのは50歳くらいから。様々な事件にぶつかりながらも、自分の歩幅でトボトボ歩いてきました。」と、チャーミングな笑顔を浮かべながら朗らかに話す加藤登紀子さん。1971年から続いている『加藤登紀子ほろ酔いコンサート2023』が11月12日(日)大阪・新歌舞伎座を皮切りにスタートする。今年はロビーでの振る舞い酒も用意され(会場によってはできない場合も)、東京公演が開催される12月27日(水)には80歳という“美しき20歳”を迎える。

 世界各国の歌を日本に伝えながらも、シンガーソングライターとして、提供曲も歌う流行歌手として、音楽にジャンルや国境の壁を作らず多彩な歌を世に送り出してきた加藤さん。今年は国内外79公演のステージに立つという(79歳にちなんで)。2年後には歌手生活60周年を迎えるにあたり、これまでの足跡をたどりながら『加藤登紀子ほろ酔いコンサート2023』への思いや、ヒット曲の制作秘話などを語ってもらった。金言のような“加藤登紀子語録”にも注目してほしい。

呑んで、歌って、リラックス。

── 1971年からスタートした「ほろ酔いコンサート」が始まったきっかけは?

加藤
飲み会で決まったんです。『知床旅情』がヒットして酒造会社の大関さんのCMソングも歌って、紅白にも出ると言う私にとってハイライトだった1971年の年末、突如飲み会で言われた新聞記者さんたちの「加藤登紀子は自分の土俵を持つべきだ」との言葉に背中を押されて、日劇ミュージックで深夜にコンサートを開き、大関さんから樽酒を提供してもらい、お客さんに振る舞いました。それがあまりにも面白くって。出産後、復帰した年に日劇ミュージックホールで復活させました。そして1978年には大阪でスタート。この頃から「ほろ酔いコンサート」という言葉が定着しはじめました。スタートしてから46回、コロナにもめげず一度も中止せずに開催しています。 

── 今と昔で「ほろ酔いコンサート」の楽しさも変わりましたか?

加藤
劇場が変わることで楽しさが変わります。それにバシッ!と決めるところは決めますよ。ミュージシャンは本番ではお酒は一滴も飲みません。偉いでしょ?真剣勝負ですから。とはいえ、「ほろ酔い」というだけあって、少しは自由に気ままにやれる部分も残しながら、私の弾き語りやアドリブを入れて楽しんでいます。今と昔で変わったといえば、お客さんが昔ほど酔わなくなったことでしょうか。コンサートのレベルも少し上がってきましたよ! 

加藤
当時は300人の席に600人が詰めかけましたが女性のお客さんはゼロ。全員酔っ払いの男性。当時結婚前だった私は、身の危険を感じましたよね(笑)。あまりにも皆が楽しそうだから私も呑むようになったんです。こうしてコンサートを続けていくうちに10年経つと客席は半分以上が女性になっていました。コンサートにも時代の流れが反映されていて面白いです。今は私たちの世代が高齢化したこともあり、お客さんの世代も家族連れが増えたり、随分と変わりました。 

デビューした頃はステージの上に立つのが怖かった。

加藤
デビューした当初はステージに立つのが怖かったんです。だって自分の気持ちが大勢のお客さんに伝わるんですから。まるで尋問されているみたいで。それが「ほろ酔いコンサート」のお陰でお客さんとの距離も縮まり、お互いの気持ちがわかるようになってきたんです。私、普段は近眼なんですが、ステージに立つと遠くにいる人が見えるんですよ。心眼力というものでしょうか。あの人、あの曲のあの歌詞で、ふっと顔上げたな、ってわかる。音楽を通して、皆さんとコミュニケーションをとっているんです。

“ラブソング”の数々に酔いしれる

── 「ほろ酔いコンサート」ではどのような楽曲が展開されますか?

加藤
昨年発売されたアルバム『果てなき大地の上に』に収録された楽曲のほか、コンサートでは女の歴史、愛の歌をテーマとした曲をお届けします。『難破船』はリクエストが多いので歌いたいですね。ほろ酔いコンサートに合わせて歌詞集を出版するのですが、一章から十章まであって。『美しき20歳』で恋が始まり、『難破船』や『愛のくらし』などを経て、三章では一人で生きるわ!というような構成で……、いま編集しています。歌詞集にはヒットしていない“消費されていない歌”も沢山あるので、是非この機会に知ってもらえたら嬉しいです。

恋愛ソングは生きるヒントに。

── 歌詞集を編集されているとのこと。改めてこれまでの歌詞を読み返してどんなことを感じられましたか?

加藤
通り過ぎた過去を時々思い出すと、愕然とするほど今と心境が違いますよね。特に詞は顕著です。歌詞も書く時はメロディーに合うとか、語呂合わせで無意識のうちに考えて作っているので、なんでこの詞をあの時に書いたのか……って思うこともしばしば。不思議なんですよ、いい詞を作ったと思う時ほど頭を使わずに作っているの。例えば『難破船』の“たかが”という出だしもヒュッと思いついたものです。歌っていく中でだんだんと歌詞のある言葉にグッとくる。新鮮な採れたての野菜を味わうような感じでね。

加藤
私の歌の中にも、恋愛のヒントがいっぱいあるんですよ。別れ方で大事なのは、何があっても機嫌よく立ち上がり、サヨナラは楽しくカッコよく。絵にすることで歌が残る。恋愛が成就されたからといって幸せでもなくて、何かあった時にどう乗り越えるかというのが大切です。今考えると40代はラブソングをいっぱい作りました。結婚していたから新たな恋もないし、過去の恋を餌にして(笑)。だから『難破船』も少し寂しい曲になっています。この曲を40過ぎた女性が歌うのではなく、20代の女性が歌う方が迫力がある。中森明菜さんに私から推薦して、歌ってもらいました。 

歌は国境を越えて……禁じられた歌ほど、生き延びる

──今年10月には、名曲『百万本のバラ』の舞台・ジョージアでもコンサートが開催されます。

加藤
今年7月にジョージアへ下見に行きました。田舎と都市がいい感じに融合した美しい街です。行ったことによってコンサートへの意気込みも変わりましたね。ステージでは、日本語で歌うのが大好きなグループにも出演してもらうのですが、ジブリメドレーを歌ってもらいます。もちろん私は『紅の豚』の歌を歌いますよ。あのエリアは『紅の豚』の舞台と空気感が似ているんです。 

── 『百万本のバラ』もジョージアで歌われるとのことですが。

加藤
日本人の加藤登紀子がなぜ一生懸命に『百万本のバラ』を歌うのかと、ジョージアの人に聞かれたんです。一言でいえば、私は多くのロシア人やウクライナ人が暮らしていたハルビンで生まれたから……。そのために『百万本のバラ物語』の本を書きました。だけど書いた当時は国が戦争し、人が引き裂かれても歌が繋いでくれると、楽観していたように思います。『百万本のバラ』の詞を書いたアンドレイ・ボズネセンスキーさんは、迫害を受け、ジョージアで沢山の本を出していたので、彼はジョージアの人々にとても愛されています。ですが、ジブリソングが好きな若い世代にとっては、この曲はロシア語で昔聴いた曲だし、避けている人も。だけどこの歌はロシア語のヒットソングではなく、苦難を乗り越えるための力や勇気を与えてきた曲なんです。私がこの歌を今回歌うことで何か変わるかもしれないと思っています。

加藤
歌こそ、いつも風圧に当てられてきたのではないでしょうか。私が歌ってきた歌も一度は禁じられてきた歌が多いのですが、歌は死ぬことはない。国境を越えていくと信じています。 

── 2年後には歌手生活60周年を迎えられますが、振り返っていかがですか?

加藤
周りからは「好きなことして、いつも楽しそうにしていましたよ。」と言われますし、すごく上手くいっているようにも見えるみたい。結婚した時も先に子どもを作って、上手くいったように思いますが、その時は事件。結婚する時も清水ではなく、比叡山の上から飛び降りるような覚悟でしたよ。だけど飛び降りてしまえば、どうってことないんです。人生何かしら事件に遭遇しますが、大変だと思えば大変だけど、面白いと思えば面白い。それに歌う時間が一番好きです。人間は自分の命をどうにもすることができないので、歌に託して──。こうして昔から歌われてきたのではないかと近年ありありと感じています。私も、気持ちを歌に預けながら、できる限り歌い続けます。 

公演概要・チケット

加藤登紀子 ほろ酔いコンサート2023 Vol.46
公演期間 2023年11月12日(日) 16:00開演
料金 (税込)
全席指定 7,500円

チケット

加藤登紀子 ほろ酔いコンサート2023 Vol.46 ○一般発売 | 新歌舞伎座ネットチケット[音楽 J-POP・ROCKのチケット購入・予約] (pia.jp)

新歌舞伎座テレホン予約センター:06-7730-2222(午前10時~午後4時)

取材・文・撮影:ごとうまき