【演歌歌手・こおり健太 ロングインタビュー】「現代では許せないことが演歌の世界では通用する」

こおり健太
アーティスト

宮城県出身で元保育士の演歌歌手・こおり健太が新曲「忘れ針」をリリース。「忘れ針」は作詞家・木下龍太郎氏の遺作。これまで、おんな唄を追求してきた こおり健太が、詞の持つ独特の世界観と美しい物語をしっとり歌い上げている。今作がリリースされた9月14日にこおりを取材、新曲のこと、両親への思い、これまでの自身の歩みやプライベートについて語ってもらいました。

新曲「忘れ針」について

ーー今作は、前作「乗換駅」に続き、作詞家・木下龍太郎先生の遺作とのこと。「忘れ針」の歌詞をご覧になった時、どのように感じましたか?

こおり
これまでの僕の歌には、花の名前や川など、タイトルを見ただけで女唄、演歌と連想できる曲が多かったのですが、今回のタイトル「忘れ針」を見た時、物語が全く連想できませんでした。“忘れ針”は造語なんですが、次第に歌詞をなぞっていくにつれ、木下先生の歌詞の世界観に打ちのめされました。前作の「乗換駅」は物語性が明確でしたが、今作は自分の中でもまだ物語が定まっていません。歌詞を読めば読むほど、歌を歌えば歌うほど新たな意味や絵が見えてくるんです。

奥深い歌詞、木下先生の作詞家としての力量、偉大さを実感していると、こおりは話す。

「忘れ針」は男女だけの物語ではない。

こおり
まず、針仕事を男女の恋のもつれに重ねるという発想がすごいですよね。2番の歌詞にある“何度も縫ってはみたけれど その度解(ほつ)れて 広がるばかり”を見て、確かに裁縫のようだなと。だけど本作は男女だけの物語に当てはまらないと思うんです。あらゆるご縁にあてはまるのかな…。お互いが縫い合わせる努力をすれば形になる。生きることを針仕事に重ねているんだと。

深くて難しい歌詞である一方で、歌としては歌いやすく、覚えやすいメロディーライン、カラオケ愛好家の方も歌っていて気持ちが良いはず。

ーーレコーディングでの印象的なエピソードはありますか?

こおり
極力重くならないように心がけて歌いました。カラオケも多くの楽器が入っていてボリューム感があるので、寂しさの中にも、明るさを感じてもらえるかと思います。今作、難しいと言っていながらも、レコーディングはこれまでの中で最短時間で終わりました。4回目でOKをいただき、その後僕がもう一回歌いたいとお願いして合計5回歌いました。今回オケ録りを同日にしたこともあって、自分の中でも新鮮な気持ちで取り組むことができました。

こおりの軽やかで透明感ある歌声を感じてもらいたい。

ーーデビュー曲からおんな唄を歌ってきたこおりさん、そもそもおんな唄を歌うことになった、きっかけは?

こおり
“こおり健太の歌声って、女性が泣いているように聞こえる時がある”と言われたんです。“泣き虫”という表現方法が僕の特徴だと言ってくださり、そこからおんな唄を追求しています。

ーーおんな唄を歌っていると、女心を理解しやすくなりませんか?

こおり
僕は歌の物語の中で、理想の女性を頭の中で描いて歌っています。現代の女性たちに訊くと、「演歌の物語に出てくるような女性はいないよ」って言われることもありますが…。作家の先生方も男性が女性の切ない歌詞を書かれていますが、経験なのか、理想なのか、はたまた願望なのか・・・。異性から見た相手の姿、求めている像が歌詞に投影されているようで奥が深いなと思います。

演歌の中でこそ描ける世界観と本気の恋

ーーこおりさんが思う演歌の魅力とは?

こおり
現代では許せないことが演歌の世界では通用する、というのが面白いなって思うんです。例えば、不倫は世の中に出たら社会からバッシングされる。だけど演歌の世界では許される。むしろ歌にすることで美しくなる。不思議ですよね。演歌の世界には命をかけるほどの本気の恋があるんですよ。

ーー人間観察が好きとのこと、こおりさんは人がお好きなんですね。

こおり
はい、昔から人が好き。“どんな方なのかな?”と想像しています。また、僕のファンの方は両親と同じ世代の方が多くて、果物、野菜、味噌など家庭的なものを頂くことが多く、有り難いですよね。

「ふるさとの駅」について

ーーこおりさん作詞作曲のカップリング曲『ふるさとの駅』もご両親と同年代のファンの方達に、より響くのでは?

こおり
響いてほしいですよね。本来この曲は両親に何かを伝えるのではなく、コンサートにいらっしゃったお客さまにその日のプレゼントとして何かを用意したい、生のライブでしか聴けない歌を届けたい!という思いから曲作りを始めました。コンサートで歌っていく中で、問い合わせをいただくようになり、今回シングルを出すにあたり、カップリング曲として使っていただきました。

ーー歌詞の中にはこおりさんの実体験が描かれているのですね。

こおり
僕が歌手を夢見て、宮城県から東京に出た日の駅の様子をもとに作りました。聴く人たち自身の経験や、子どもや孫、大切な人の旅立ちと重ねて聴いてもらえたら嬉しいです。

ふるさとの両親に思いを馳せる

ーー歌詞の“捨てる覚悟で 家を出た”の部分について、お父さまはこおりさんが歌手になることを反対されていたのですか?

こおり
本当は父は、僕に高校卒業後は就職してほしかった。だけど僕は幼稚園教諭と保育士の資格を取得するために短大に進学したくて、父を説得しました。卒業後は保育士として4年近く働きました。それで落ち着くと父は思ってたと思うんですが、今度は歌手になる!って。驚いたでしょうね。だけどその時は何を言ってもダメだと諦めていたと思うんですよ。今しかできないと。

宮城から上京する時は不安だらけだったという。

こおり
上京する日の朝、仕事に行っているはずの両親が駅にいたんですよ。僕を見送るために休みを取っていたみたいで。普段寡黙な父親がボソボソと「ご飯食べなさいよ」「体だけは気をつけなさい」「いつ帰ってくるんだ?」という言葉をかけてきたんです。僕はこの仕事をするからには、親の死に目には会えない、家にも帰るつもりはないと、強い覚悟を持っていました。長男なので、姉に家のことをお願いして上京、普通の田舎の家庭で育ったので、親に借金したり、頼ることは絶対にやめよう!と。

幼少期に母に連れられて行った川中美幸さんのコンサートをきっかけに歌手を志したこおり。デビューしてからは両親は、自分を息子というより歌手・こおり健太として見ているのではないか、と話す。

ーーコンサートでもご両親は観に来られますか?

こおり
前回の北海道のコンサートに来てくれました。僕はデビュー当時から、両親にも一般のお客さまたちと同じようにチケットを買って、並んで入ってもらっています。両親にカップリング曲の「ふるさとの駅」が届いているだけでも十分です。

ーー作詞作曲されて手応えはどうですか?保育士をされていたこともあり、創作が好きなのかなと。

こおり
歌詞を書いていくうちに、さまざまな言葉を調べるようになって、作詞家、作曲家の先生方の苦労がよく分かりました。作家の先生方は僕の為に歌を作ってくださっているので、自分の声にしっかりとはまるのですが、自分で作った歌は歌うのが一番難しいんです(笑)。

プライベートや趣味のこと・・

愛犬・ずんだの存在

ーークリアファイルにもなっている、こおりさんの愛犬・ずんだ君、こおりさんの支えになっていますね。

こおり
いつも一緒に旅をしているんです。大人しくしているのでレギュラーで出演させていただいているOBCラジオでもたまに連れて行っています。“ずんだ”がうちにやってきたのが2年半前、当初売れ残っていて、飼おうかどうか1ヶ月半悩みましたが、縁があったんでしょうね。今は“ずんだ”中心の生活になっていますね。急にご飯を食べなくなったり、環境が変わると体調崩したりと、不安ばかりです。でも可愛いですね。

ーー最近は不動産の内見にハマっているとか?

こおり
気になるマンションがあったら、電話をかけて内覧会に行っています。間取りや景観を見て、“いつかこんな家に住むんだ!”と、自分を奮い立たせています。部屋を見て実際に住んだ時を描くことで、モチベーションスイッチがオンになるんですよ。“ずんだ”の為にも、いつかは庭のある家に住みたいです。

ーー2017年に任命されたミャンマー観光親善大使、軍事政権になってからミャンマーに行く事ができず寂しいですね。

こおり
そうですね。毎年1月に桜の苗木を持って行き、現地の方と植樹祭を重ねてきたのですが、ここ最近はあまり活動ができていません。以前、朝食会ではスーチーさんと一緒のテーブルを囲んだりと、緊張しましたがとても素晴らしい経験をさせていただきました。

吉幾三トリビュートアルバムに、徳間ジャパンの後輩の一人として こおりも参加。「哀のブルース」がこおりの歌声で収録されている。憧れの大先輩で、同じ東北出身、ディレクターも同じなど、吉幾三さんと共通点がたくさんあるというこおり、吉さんのことについても楽しそうに語った。

ーーレコーディング時のエピソードを教えてください。

こおり
吉さんは父のような存在で、ありがたいことに大変可愛がっていただいてます。収録時、レコーディングブースに入って、吉さんが歌われている様子を目の前で見て圧倒され、“吉幾三の凄さ”を痛感、楽しい時間でした。吉さんお手製の煮込んだ絶品カレーを皆でいただきました。

ファンの皆さまへ

ーー応援してくださる皆さまと今後の活動について意気込みをお願いします!

こおり
ここまで来れたのは、お客さまの存在があったからこそ!まだまだ大変なご時世ではありますが、皆さまの力をお借りしながら、一緒に、一日でも長く、一回でも多くの歌声を届けられるようにこれからも頑張ります。皆さまもお身体に気をつけながら僕の父や母、祖父母のような思いで、これからもお付き合いしていただけたらと思います。

来年でデビュー15周年となる こおり健太。おおらかさの中に一本筋の通った男らしさと信念がインタビューから感じられた。2022年11月6日(日)には、こおり健太デビュー15周年スタートライブも開催される。詳細はこちら

新曲「忘れ針」に掛けるとすれば、歌手と聴き手の出会いも針仕事に通じるものがある。人との出会い、唄との出会いを大切にする こおりの歌声、今後さらに多くの人にその歌声が響くことだろう。

インタビュー・文/ごとうまき