【天野 涼インタビュー】表現することが好き。「衿子」という作品と共に成長していきたい。

インタビュー
国立大学大学院卒業後、外資系企業でのサラリーマンを経て転身した異色の演歌歌手・天野 涼。2024年1月には2年ぶりとなる待望のサードシングルを発売し、久仁京介&弦哲也タッグによる書き下ろし「衿子」が話題を呼んでいる。端正なルックスと甘い歌声で女性ファンを中心に魅了する天野 涼にインタビューを行った。「衿子」への思いや、幼少期〜演歌歌手に転身するまでのこと、今後の展望について伺いました。

橋幸夫の曲「江梨子」へのオマージュ

── 今作のタイトルもとてもインパクトがありますよね。「衿子」について、天野さんはどのように解釈しておられますか?

天野
歌のタイトルって、歌手にとっても重要なんですよね。ヒットした曲のタイトルが人の名前だというのは多いのですが、まさか自分が歌うなんて思っていませんでした。“衿”という字も印象的ですよね。ただ、ホッとしたのは自分の母親の名前でなくて良かったなと(笑)。
天野
この曲は橋幸夫さんの曲「江梨子」へのオマージュでもあると、久仁京介先生がおっしゃっていました。「江梨子」は亡くなってしまうのですが、令和の「衿子」は突然姿を消してしまうんです。ですから、きっと衿子さんに会えると主人公の男は望みを捨てていないと思うのです。その意味で希望が持てる歌です。
── 衿子はどんな女性だと思いますか?

天野
優しく包んであげたくなるような、でもどこか憂いを帯びたミステリアスな女性に思えます。同時に芯の強い女性なような気がします。3番の歌詞にもあるように、心の強さと弱さがあって、その矛盾さもいいのかもしれませんね。
── そういう矛盾さとミステリアスさがある女性に男性は惹かれるのでしょうか?

天野
個人的にはあまりミステリアスすぎると怖いかな……(笑)。ですが、憂いのある人、影を持っているような人に惹かれるところはありますね。誰しも自分の中に衿子のようなところがあるのではないでしょうか。以前その事をファンの方に教えていただき腑に落ちました。

 

「ふるさと遥かなり」は等身大で歌っている

── 前作の「捨てちまえ」とは真逆のテイストとなっていますね。
天野
聴いていて心が明るくなったり楽しくなるのはメジャー調の曲で自分も好きです。弦哲也先生には「言葉を大事にすること」とアドバイスをいただきました。その時の自分の思いを大切にすることを弦先生から学びました。僕は教科書通りに歌ってしまうところがあるので、そこを自分自身が破って超えていくことが一つの課題です。「衿子」という作品と共に成長していきたいです。
── カップリング曲「ふるさと遥かなり」についても教えてください。

天野
2023年1月に「新・BS日本のうた」に出演したときに、着流しで春日八郎さんの歌を歌わせていただきました。その姿が、山に向かって夢や人生を叫ぶ姿と重なったようで、この曲を作っていただきました。僕自身、等身大で歌っていますし、1番の“母を泣かせて 背を向けた”の部分は、グッときます。今でこそ応援してくれているものの、母親の反対を押し切って歌手になったので……、当時を思い浮かべます。誰にも故郷はあるので、多くの方に共感していただけるのではないでしょうか。
── レコーディングやMVの撮影で苦労したエピソードなどはありますか?

天野
レコーディングに入る前は「ふるさと遥かなり」のほうが難しく感じ、「衿子」の方が入りやすかったのですが、それがだんだんと逆転して……。MVは2023年11月に二宮海岸で撮影しました。寒い時季、スーツ一枚で砂浜を延々と歩いたので風邪をひきました(笑)。

外資系エリートサラリーマンから演歌の道へ

── 大学では生物学を専攻、その後埼玉大学大学院でドイツ哲学を学び、外資系企業に就職。凄い経歴ですよね!どうして演歌歌手に転身されたのですか?

天野
人間って、自分のとった行動を理路整然と説明できるほど賢くはなくて、僕自身もそうなんです。その都度、自分の好きな事を選んだらこうなったって感じです。子どもの頃は空想をよくしている少年で、人間が生まれてから死ぬことについてを寝る前に考えて、その不思議さや悲しさに泣いていました。両親にも愛情を持って育ててもらいましたね。
── 子どもの頃から哲学的だったのですね。生物学からドイツ哲学という振り幅もすごい!
天野
自分の考えている事を何らかの形で表現したかったんだと思います。生物学だと記号や数式、実験によって物事を解明していく。もちろんはじめは興味を持っていたのですが、段々と科学的な在り方で説明しようとしても割り切れないものが出てくる。それが、“生きる意味”“私という存在の意味”といったもので、そこから文学や思想、哲学の方に興味を持ち、どハマりしました。そこで素晴らしい先生にも出会い、修士論文を書き上げました。
── そのあと外資系企業に就職。演歌歌手を志したきっかけは?

天野
ひとりの社会人としてなんとかやってきましたが、次第にこのままでいいのか?と、自分自身にもどかしさを感じるようなりました。仕事の仲間との飲み会の後は必ずカラオケに行って、好きな演歌を歌うのですが、みんな上手いね!って褒めてくれる。ふと、昔から好きだった歌、好きな事を仕事にできたらなんて幸せな事だろうかと思い、カラオケ大会に出たり、オーディションを受けました。それが30歳の時でした。初めて挑戦したカラオケ番組で歌ったのが、春日八郎さんの「あん時ゃどしゃ降り」で、祖母の大好きな歌でした。

哲学も歌も一つの“表現”、僕は表現がしたかった

── さまざまな経験をされていますね。今後どんな歌手を目指して活動していきたいですか?

天野
歌も哲学と一緒で、一つの“表現”なんですよね。僕は一つの表現に関わっているんだと、そのことがとても幸せです。これからももっと表現、歌を磨いていきます。そして天野 涼の後援会を作らせていただきました。応援してくださる皆さまに感謝の気持ちも込めて、ファンの皆さまとワクワクするような楽しい企画をしたいです。さらに、いつかはコンサートリサイタルとして天野 涼の成長過程を節目節目でお見せできたら……!これからも、末長く応援よろしくお願いします!
インタビュー・文・撮影:ごとうまき