【これが私の生き様】松前ひろ子インタビュー「神様が良い巡り合わせを与えてくれた」

アーティスト

北島三郎さんの従妹で、三山ひろしさんの師匠でもある松前ひろ子さんは、今年で歌手生活53年に突入。5月10日に発売の新曲『居酒屋 夢あかり』について、自身の歌手人生を振り返ってもらい、さらに三山ひろしさんのデビュー前のエピソードなども聞きました。演歌歌手に一番必要なものとは何か―—。歌手として、妻、母として、そしてミイガンプロダクションの社長としてそれぞれの目線で語ってもらいました。

居酒屋 夢あかり制作秘話

 ―—今作をはじめに聴かれたときの印象を教えてください。

松前
 はじめのタイトルは『夢あかり』だったんです。最初は弦先生の弾き語りで『居酒屋 夢あかり』とカップリング曲『待雪草』を聴きました。聴いてすぐに『待雪草』を気に入ってしまって。私は、これまでずっと夫婦もの、女性目線の歌を歌い続けていますが、私の心の中ではちょっと色を変えたいという思いがあったんです。男性目線で描かれた『待雪草』 をA面にしたいと話したんですが、今回は折れました(笑)。

 ―—どちらも夫婦ものですが、全く異なる夫婦の形が描かれていますね。

松前
『居酒屋 夢あかり』は、二人で築き上げた居酒屋を夫が旅立った後もしっかり守り続けている妻の物語。『待雪草』は男うたで、酒呑の夫を寝ずに待っている健気な女性の姿が描かれています。『待雪草』の世界は、演歌の世界だから成り立つのですよね。今どきそんな夫がいたら即、離婚されますよ(笑)。歌手生活53年目、そろそろ終わりに近づいてきているので、私の意見もしっかりと反映してもらいたくて、ディレクターにお願いしました。次回作は、これまでの従順な女性とは違った激しい女性の物語を期待してもらえるのではないでしょうか。

 ——それぞれ歌う上でのポイントはありますか?

松前
『居酒屋 夢あかり』で一番心掛けていることは明るく歌うこと。カラオケ大会の課題曲にもなっているので、皆さんの歌いやすいように考えて歌いました。『待雪草』はやっぱりカッコ良い。レコーディングでもスムーズに歌えてすぐにOKを貰えました。松前会の皆さんからも、『待雪草』は詞の内容がよく分かると好評です。“惚れた惚れたよ”の部分もポイントになっていて、気をつけて歌っていますし、好きな部分です。

 “心″がある人の歌は人を惹きつける。

 ——2019年から始まったBS日テレ「あさうたワイド」(毎週木曜日5:00〜)。毎回いろんなゲストの方がご出演されていますね。

松前
はじめはお客さまを入れずにスタートした番組ですが、途中から観覧したいという声をいただき10名に、さらに30名に増やしましたが、その矢先にコロナ禍に突入しました。これまでのやり方が変化したことで一時期は戸惑いもありました。ゲストの皆さんも家族のような感覚で、着物の相談もよく受けるんです。私、着物が好きでしょ。よく譲っちゃうの。着物も帯も小物も全部(笑)。

 ——なんてカッコいいのですか!

松前
 やっぱり後輩は可愛い。私が好きで差しあげているから御礼など求めていませんが、その後の行動で人間性って出ますね。例えば、すぐにメールや手紙をくれる子もいれば、その後お礼の一つも言ってこない子……。その違いは“心”だと。それが演歌につながっているといろんな方を見ていて痛感しています。今の時代、ヒットすることがとても難しくなっているし、CDを買わなくても曲はいくらでも聴けます。それだけCDを買ってもらうことは尊い。日頃のありのままを見せることが大切だし、お客さまにも心で接して常に感謝の気持ちを忘れないようにしています。

 弟子の三山ひろしとの出会い

 ——三山ひろしさんと出会われて17年目、出会った当時のことを聞かせてください。

松前
当時彼は私が歌手で、主人が作曲家だなんて知らずにウェイターの募集を見て面接にやってきたのです。垢抜けてもいないし、普通の子だった。制服を準備する都合もあり、1週間後から働いてくださいと話したら、「明日からでも使ってください」って言うんです。後から聞くと、ここで働かなかったら次はないと思ったそう。

 ——人生にはタイミングが大切だと改めて感じるエピソードですね。

松前
働き始めて3日目で彼の歌を主人と一緒に聴きました。とにかく彼は素直で謙虚。そしてあの意気込みに惚れ込んだんです。よく三山ひろしをなんであそこまで育てたの?と訊かれることがありますが、三山くんの心がそうさせてくれたんです。彼は私たち夫婦に尽くしてくれたから、この子の心に応えたい、何があっても三山くんをデビューさせようと、私たち夫婦は心に決めていました。神様は良い出会いを与えてくださったと思っています。

 家出して歌手の道へ。紆余曲折を経て歌手生活53年。

 ——歌手になるまでのエピソードを教えてください。

松前
一男七女の中で、過保護に育てられました。どの娘も働くことはなく、家事手伝い、習い事をして年頃になったらお嫁に行く、というような家でした。いつもお手伝いさんは3人ほどいて、お水欲しいって言ったら誰かが出してくれるし、お手洗い行こうものなら誰かが連れてってくれるという生活。ある時、従兄の北島三郎さんが函館にいらした時に、「ひろ子ちょっと歌ってみろ」と言うので、畠山みどりさんの『出世街道』を歌いました。歌い終わった後のサブちゃんが良い反応をしてくれて、舞い上がってしまって。今思えば、それは私の勘違いだったんですけどね(笑)。

 ——そこから北島三郎さんに弟子入りをされた。

松前
両親に歌手になりたいと説得するも大反対。毎日いつ逃げていこうかと考えていたある日、両親が入院している隙に家を飛び出し、サブちゃんの元に行きました。しかしそこでも反対。「過保護なお前は、この業界では生きてはいけないから帰りなさい。」と追い返されましたが、帰らずに粘りました。そして北島家に入門し、その日から従兄ではなく師弟関係に。ここに来て初めてほうきの持ち方も覚え、世間のいろんな常識も身につけました。

 ——北島三郎さんからの教えで一番心に残っている言葉はありますか?

松前
 「本物の人気者とは、異性ではなく同性から好かれる人。同性から好かれる努力をしなさい。」と言われた事を覚えています。それは男女問わずです。息の長い歌手やタレントは同性に好かれる人。最近では三山くんにも男性のファンが増えてきたので嬉しいです。

 頑張って来れたのは家族の支えがあってこそ。

 ——修行を積み、念願のデビューを果たすも、デビュー2年後に交通事故、8年間歌えない日々が続いたんですね。

松前
 この時に初めて、故郷に帰ろうか悩みました。結局治るのに丸5年かかり、3年はレコード会社の試験を受ける日々。ただ良いことも沢山ありました。その8年の間に主人と出会い結婚。3人の子宝にも恵まれましたから。ただ、どうしても歌手に戻ることを諦められなかったのです。

 ——家庭と仕事との両立、当時は葛藤はありましたか?

松前
長女は“売れない演歌歌手の子ども”と学校で虐められたこともあったみたい。成人の日にくれた長女の手紙でそのことを知りました。すぐに知っていれば私は歌手を辞めていたかもしれません。長女が、応援しているという内容の手紙をくれたおかげで、一念発起しました。名を知ってもらえる演歌歌手になろうと。

松前
 大好きな歌が歌えない日々が続いたあの8年を乗り越え、歌手に戻ったからには親孝行がしたいという思いも芽生えました。あれだけ反対していた父が亡くなる時、“ひろ子のステージをもう一度見たい”と言って亡くなったんです。母に見せてあげよう。母が旅立った時も、天国から聴いてもらおうと、子どもや両親の言葉、苦難が私を強くし、奮い立たせてくれました。この経験があったから、三山くんを見た時に彼の思いを叶えてあげたいし、この子に全てを託したいと思いました。

 私を支えて守ってくれた人たちやレコード会社に何か残したい

 ——現在はミイガンプロダクションの社長業のほか、プロデュース業もされてるんですね。

松前
 主人が3年前に亡くなり社長を引き継ぎました。ミイガンプロダクションは漢字で「美一丸」と書きます。美しく1つを丸で進めるようにとの思いが込められていて、本当にこの通りに進んでいます。元々プロデュース業が好きなんですよ。自分の衣裳も三山くんの衣装も自分で勝手に作っているんですよ(笑)。

 ——2025年で歌手生活55周年を迎えられますが、挑戦したいことはありますか?

松前
 私は沢山着物を持っているのでチャリティーができたらと考えています。そして集まったお金は観光大使をさせていただいている5箇所の地域に寄付をさせていただき、何かに役立ててもらえると嬉しいですし、それが一つの夢です。55周年までに実現したいですね。

 ——感謝の気持ちを形で残したいと。

松前
  そう、“感謝”は私の大好きな言葉です。残りの人生、自分の足で舞台を務めて、私がこれまでお世話になったところにご挨拶とお礼をしたいのです。私を支えてくれた方たち、私を守ってくれた徳間ジャパンにしっかりお返しをして残していきたいと思っています。そして主人が大事にしていた“言葉”も大切にしながら、歌の道を最後まで歩んでいきます。

インタビュー・文・撮影/ごとうまき