芸能生活60周年「好敵手は五木ひろし、過去の五木ひろしに対して今の自分がどれだけ挑戦できるか!」

インタビュー

昭和、平成、令和と歌謡界のトップランナーとして走り続ける歌手・五木ひろしさん。3月13日に「こしの都」が発売された。今作は、五木さんの故郷でもある福井が舞台。3月16日に北陸新幹線福井・敦賀間が開業したのを機に、福井の魅力を広め、さらに復興に向かう北陸への願いが込められ、ドラマティックなアレンジで壮大な日本海や歴史ある風景が表現されている。

関西プレスには2回目の登場となる五木さんに新曲やコンサートへの思い、今年で歌手生活60周年を迎える今の気持ちを語っていただきました。

「新曲としてこれが最後になってもいい」故郷の魅力を歌う。

──「こしの都」は五木さんの故郷でもある福井を題材にした楽曲。2024年3月16日に北陸新幹線福井・敦賀間が開業したタイミングでの発売。この歌が福井のPRになっていますね。

五木
“地味にすごい、福井”というキャッチフレーズにあるように、自慢できることがいっぱいあるにも関わらず自慢しない気質を県民は持っています。福井は歴史豊かな街で、匠の技が受け継がれている場所。何よりも名所が沢山ある……。日本を代表するような素晴らしい県だということをこの歌を通して再認識しました。だけど“紫式部もいた”ということは僕も知りませんでした。MVの撮影で福井に行って、より魅力を知ることができました。

──「こしの都」は今年歌手生活60周年を迎える五木さんの集大成とも言えますね。

五木
そうですね。新曲としてこれが最後になってもいい!という気持ちで臨みました。編曲の若草恵さんと打ち合わせをする時も思いっきりミュージシャンを使って欲しいとお願いしました。大オーケストラで、壮大な日本海を、歴史ある街を表現していただきました。レコーディングでは37名のミュージシャンが集結し、スタジオに入りきらないくらいでした(笑)。生音と重ねた音というのは聴く人が聴くと違います。今の歌謡演歌界ではフルオーケストラを使うことが少なくなってきました。今まで以上に全力を注いだ作品となっています。常に、これが最後だ!という気持ちと、いいご縁がないと良いものは生まれてこないと思います。

──「ひろしま雨情」も“良いご縁”から生まれましたね。詞はファンの小石 幸さんが作ったもの。不思議な出会いがあったとのことですね。

五木
昨年広島でコンサートをしたときに、出待ちのファンの方の中に「五木ひろし様」と書いた白い封筒を持った男性が立っていました。普通ならそこで立ち去るのですが、あまりにも字が綺麗だったので車の窓を開けて受け取りました。封筒を開けてみるとその中に詞が入っていた。これはきっと何かのご縁だと思い、すぐに曲をつけました。奇しくも広島の歌を歌うのは今回が初めて。昔は詞が大好きな人が応募して、そこで選ばれた人が後に大作詞家になっているんですよ。初めから詩人はいませんから、新しい人たちを探すということも大事なことなんですよ。

コンサートでは1曲でも多くの曲を楽しんでもらいたい。

── 歌手生活60周年記念 五木ひろしスペシャルコンサートが4月から始まっています。関西では6月24日大阪・フェスティバルホール、25日ロームシアター京都メインホール、26日神戸文化ホール大ホールでそれぞれ開催されますが、今回のコンサートへの思いを教えてください。

五木
セットリストは毎年変えています。歌あり楽器あり、楽器もピアノやギターを弾き語りしたり、和の世界では笛を吹いたりしています。今回もほぼ2時間ぶっ通しで歌っています。2回とも1分弱の間に着替えますから、2時間の間で僕がいないのは2分しかありません。僕のコンサートはどんどん歌うので、初めて来られた方は驚く人も。そういうことを聞くと可能性に満ちていると思います。演歌・歌謡曲というジャンルは昔の流れをずっと引きずっているままなので、変えていかないといけません。僕は常にお客さまの気持ちに立って、良いコンサートにしようと努めています。

── 「継承と挑戦」は長年の五木さんのテーマとなっています。

五木
常にチャレンジすると同時に大先輩の歌を継承していくことも大切です。いま自分があるのは誰のお陰か……。歴史を築いた先輩がいたからこそ、いまこうして歌っていられる。そして僕が頑張ることで、僕を継承する人もいつか現れる。これが歌謡史なんです。来年のコンサートでは僕の歌だけで60曲メドレーを歌うつもりなので楽しみにしていてくださいね。

流行歌というものを時代に合わせて考える

── 演歌・歌謡界のトップランナーとして走り続ける五木さんは今の演歌・歌謡界をどのように見ておられますか?

五木
演歌歌謡も流行歌。時代の流れとともに流行りのジャンルや歌が変わっていくのは当たり前のことです。ですが、変わりゆく中でも自分は変わりようがありませんから、自分というものをどうやって見つけていくのかが大事だと思っています。そして何十年か経った時に、また演歌歌謡が流行るかもしれませんし、そういうものなんだと思います。今、演歌歌手を目指したり歌っている人は出にくいかもしれませんね。僕たちは黄金時代に出ていましたから、山ほど番組があった。制作側も含めて時代とともに流行歌を考え直すべきだと思います。その中で自分というものをどう表現するかが大切だと思います。

売れない時代の経験が原動力となった

五木
僕は小さい頃から歌手に憧れていたので、早く都会に出ていきたかった。中学卒業した翌日に福井を離れ、姉を頼って京都に行きました。1年経って上京、上原げんと 先生の内弟子になりました。その年に第15回コロムビア全国歌謡コンクールで優勝し、プロ歌手としてのスタートを切りました。それまでは順調に進んでいたのですが、その後芸名も変えたりといろいろあって、プロ歌手になって6年目にしてやっと五木ひろしになった。だけど売れない時代がエネルギーとなり、五木ひろしを作ってくれたと思っています。一曲のヒットじゃだめだ、次から次へとヒットを飛ばしたいと、常に前向きな気持ちでいました。その繰り返しで五木ひろしとなって54年目を迎えています。

── 五木さんの体力や体型維持の秘訣を教えてください。

五木
若い頃は気にしていませんでしたが、歳を重ねていけば年齢とともに人間は変わっていきますが、自分で意識して変わらないようにする方法もあるんです。キーの高さも昔から変わっていません。半身浴は20年以上前からやっていますよ。子どもに“お父さん凄い!”って言ってもらいたいから頑張った時期もありましたが、今は孫に言ってもらいたくて頑張っています。「世代から世代へ……」と考えるとやる気が尽きることはありません。その為には自分が現役で頑張っていかないといけません。

五木
僕の好敵手は五木ひろし、一番刺激になるんです。過去の五木ひろしに対して今の僕がどこまでチャレンジできるか……。若い頃は月に20日間コンサート、つまり40回ステージに立っていました。それでも声の調子が悪くなったことはありません。その頃と比べたら今やってることは楽なもの。過去の自分を意識しながら、これからも継承と挑戦をテーマに走り続けます。

インタビュー・文・撮影:ごとうまき