LGBTQ,女性の自立,親子愛などがテーマとなる愛に溢れた物語
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Contents
あらすじ
アメリカ・テキサスの田舎町に住む主婦メイベリンは、夫と二人で暮らしていた。ある日長い間疎遠だった息子リッキーの訃報を受け、ショックを受ける。ゲイであるリッキーを保守的なメイベリンの夫は息子を理解することなく、息子の葬儀さえも行くことを止めた。夫の反対を押し切って、せめて葬儀だけでもとリッキーの暮らしていたサンフランシスコへ向かう。
しかしそこで行われていた葬儀はミュージカル調の派手な葬儀で、敬虔なクリスチャンであるメイベリンにとって耐えがたいものであった。次の日彼女は、リッキーのパートナーであるネイサンのもとへ行くが冷たくあしらわれる。リッキーから母メイベリンのことを聞いていたため、メイベリンのことをよく思わなかったのである。メイベリンはネイサンから息子がドラァグクイーンでゲイバーを経営していたことを知らされる。リッキーは遺言もなく亡くなってしまったため、バーの経営権が母親であるメイベリンにあり、さらにそのバーが破綻寸前の危機にあることが発覚。突然の展開に困惑しながらもメイベリンは、息子が遺したゲイバーを再建するために立ち上がる。
ゲイバーの再建だけでなく、ドラァグクィーン達にも寄り添い、彼女自身も変わっていく姿が描かれる。
監督・キャスト
主人公メイベリン役に「世界にひとつのプレイブック」のジャッキー・ウィーバー。
「キル・ビル」、ドラマ「エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY」のルーシー・リューがリッキーの親友でシングルマザーの女性を演じる。
リッキーの恋人で共同経営者であるネイサンにドラマ「アントラージュ★オレたちのハリウッド」映画「プラダを着た悪魔」のエイドリアン・グレニアー達が物語を彩る。
見どころと考察
テキサスの老いた保守的な主婦が偏見の壁を乗り越え新しい世界を切り開いていく
偏見を乗り越え多様性を受け入れる
ポイントはアメリカで最も保守的な州のテキサスの夫に従順な初老女性が多様性を受け入れ肯定していく姿
メイベリンは敬虔なクリスチャンであり、従順に夫に従い、ゲイを毛嫌いする典型的な南部の高齢女性。テキサスと言えば10年以上前までは最も保守的な州と言われていたほど。近年ではアフリカ系黒人やヒスパニック系も増加し人口も増えてはいるが、未だに保守派の声が大きい。
メイベリン夫婦にとって自分の息子がゲイであるということが家族の恥であった。そのため息子のリッキーは早くに家を出ていき次第に疎遠になっていった。愛する息子の性的マイノリティを受け入れることができなかった彼女が、息子の死によって改めて様々なことに気づかされ、生前理解してやれなかったことを少しずつ理解しようとするメイベリンに思わず涙が溢れる。
親子愛と隣人愛
自分と同じ後悔をしないようにと、ドラァグクィーンの一人の母親に勇気を持って話をしたシーンにはグッとくるものがある。自分の子どもが同性愛者であろうと愛する自分の子どもには違いない。母の息子への愛と、亡き息子からの愛、そして息子の愛した恋人、仲間、バーなどにも寄り添う「愛」に溢れた作品である。
マイノリティの居場所
本作は性的マイノリティをテーマにしているが、多様性多様性と叫ばれているわりには依然としてマイノリティには生きにくい社会である(日本社会では特に)。それぞれの居場所、それぞれの愛する場所を守りぬくこと、なかなか出来るものではない。そんな中で自分に寄り添ってくれる人がいること、自分を理解してくれる人がいること、肯定してくれる人がいること、そんな存在が少しでもいるだけで人は生きていけるという事を本作から感じた。ゲイバーはそんな彼、彼女たちのホーム、唯一の居場所なのである。
ラストのショーのシーンに泣ける
ボニー・タイラーの「愛のかげり」と共に迎えるラストシーンは必見。こういった演出はさすがアメリカ(製作はカナダだけど)、見事な演出だ。
90分でコンパクトに纏まったハートフルエンターティメント
ダンス、音楽、ほんの少しの涙と夢と希望に溢れた作品。息子を失う母の気持ちを考えると胸が苦しい話ではあるが、そこを乗り越え前向きに進むメイベリンの姿からは夢と希望に満ち溢れている。
人生100年時代、何歳からでも再スタートできる。歳を重ねていくことって悪くないよね。(健康管理と筋力だけはしっかりつけておかないと!!)それにしても昨今はLGBTQや女性の自立、多様性を受け入れる、自分らしさを大切にする・・・などをテーマとした作品が多く目立つなと。時代はますます変わってきているという事を感じる。息子を持つ身としては本作の母親たちに激しく感情移入してしまい、涙、涙だった。ドラァグクィーン美しい!