【シンガソングライター cyan(シアン)インタビュー】人に寄り添い歌声届ける「愛しているからこそ、程よい距離感を」

cyan(シアン)
アーティスト
音楽バラエティー「Momm!!」グランドチャンピオン、人気韓国歌手への楽曲提供、国内地域を始め海外でのライブ活動などを行うシンガソングライターcyan(シアン)をインタビュー!
2022年6月1日に発売された彼女のファーストミニアルバム「つながる」には、人との出逢い、繋がり、そして別れなど、誰もが一度は経験するであろう「日常の様々な愛と心の動き」が詰め込まれている。
人々の心に寄り添う優しいメロディーと歌詞、彼女の温かく伸びやかな歌声が、聴く人の心を幸せな気持ちに包み込んでくれる。
新曲「つながる」は「ニコニコキッチン」のTV CM、WEB CMのタイアップソングにもなっている。

鬼束ちひろの「月光」で歌手を志す

ーー歌手になりたいと思ったきっかけは?
cyan
幼い頃はラムネが入ったマイクを持ってよく歌っていたみたいです。ラジオが大好きで、ある日ラジオから流れてきた鬼束ちひろさんの「月光」に衝撃を受けました。最初は歌マネから始めて、学校で披露すると“上手い〜!”って皆が集まってきてくれて。歌が一つのコミュニケーションとなり、友達の輪が繋がっていったんです。中1の時には、小野の「アルゴ」という総合グランド場で、登校前にセーラー服着て歌ってました。立ち止まり、聴いてくれるおじいちゃんおばあちゃん達が“あんたやったらいける!”って、背中を押してくれた。
地元の人たちの応援がcyanの基礎を築き、彼女の原動力となった。
ーーどのようにして夢を叶えていきましたか?
cyan
当時は友達2人でストリートライブを行い、花*花さんの曲を歌っていた。憧れの花*花さんと絶対にお仕事で会いたい!と思っていたら、後に一緒にお仕事させていただくことになり…、夢みたいでした。
高校時代は歌手になるために、三木市にある音楽教室に原付で通い、レッスンを受けるために月1で東京に通う生活を続けた。2006年に上京、地道な努力を重ねて歌手になる夢を叶えていったcyan、2018年にメジャーデビューするまでにも、様々な人との出会いに支えられてきたという。
cyan
歌手になりたい!ではなく、“歌手になる”という強い気持ちで、不安や恐れは全くなかった。“歌うことが好き”その一心で突き進んできました。2006年に上京、次第に夢だけでなく現実が見えるように。水が合わないし、一人暮らしってこんなにも大変なんだとか・・・。経験や年齢を重ねるにつれて新たな課題も出てきた。だけど、いろんな方との出会いによって今こうして続けられている。応援してくださる方たちのお陰なんです。

晴れ女のcyan。野外で歌うと必ず晴れるという。

天国に旅立った友人の言葉に背中を押される!

2014年9月、cyanにとって大きなショックと後の人生に影響するような出来事が起きる。
cyan
2014年4月から12月までの期間に、自主制作のCDを手売りで1,000枚売るというプロジェクトを行っていました。その中でいろんな方との出会いがありました。暑い日には冷たい飲み物を差し出してくれる人や、寒い時にはマフラーを買ってきて巻いてくださる人…。人々の優しさに支えられ、励まされました。
そんな最中、2014年9月に同い年の友人が急逝。あまりのショックに歌う気力さえもなくなった。しかしある時、友人が言った言葉を思い出した。
cyan
その友人が来た最後のライブでは、お客さんがほとんど居なくて…。そのときに友人が言った“悔しかったら武道館で歌えるくらい頑張ってみなよ”という言葉を思い出した。友人の分も、そして今生かされている命を大切にしながら夢を叶えていこうと、奮い立たされた。
cyanのモットーである“ご縁を大切に”はこの出来事が起点となっている。結果、CDを手売りで1,000枚売るという目標は達成することができた!
cyan
1,000枚を達成した場所が五反田駅、不思議なことに私の所属するレコード会社・徳間ジャパンの本社が五反田にあるんですよ。今振り返ると過去からの積み重ねがあるんだなって。
友人の死は、cyanのその後の歌にも大きな影響を与えた。
cyan
誰かの死に直面することがなかった。いつも一緒に過ごしていた人がこの世からいなくなってしまうということ…、改めて命の尊さに気付かされました。これまで恋愛の歌も書いてきましたが、その頃から自然と“命”について歌うようになったんです。

ミニアルバム「つながる」について

ーー「つながる」に収録されている曲は、まさにcyanさんの軌跡が詰まっているのですね。
cyan
音楽活動や私生活を通して出会ってきた人々とのご縁によって形成されています。2020年に発売された「LOVE LETTER」から、これまでと違ったテイストの曲を書き始めました。
実家のお風呂でリラックスしている時にインスピレーションを得た「愛旅」は聴くだけでハッピーになれる曲。「幸せのスタートライン」は普段照れ臭くて伝えられない母への感謝の気持ちを綴っており、「誓い愛」は結婚式前の新郎新婦にインタビューし、2人のエピソードを元に作った夫婦愛を描いた作品。収録曲すべてに色んな形の愛が描かれている。
ーー曲作りにおいて、どんな時にインスピレーションが湧きますか?
cyan
作るぞ!って決めて作る時もありますが、多くが山を登っている時や最寄駅から自宅までの帰り道、電車に乗っている時にふっと浮かびます。あとは写真を撮ることが好きで、撮った写真を見返しながら歌詞を書いたりしています。田舎育ちだから自然に触れていないとダメなんですよ(笑)。
兵庫県小野市出身のcyanは小野市観光大使、おの恋アンバサダーを務める。小野市の魅力を沢山伝えられるようにと、自身も小野市の様々な名所を訪れている。
ーー小野市のおすすめスポットは?
cyan
小野市は春夏秋冬を通してデジタルデトックスができるような場所。地元に帰ると初心に戻れてパワーチャージできるんです。特におすすめなスポットは「おの桜づつみ回廊」約650本の桜が迎えてくれます。夏は「ひまわりの丘公園」、秋は「コスモス畑」、日本一低いアルプス山脈「紅山」での登山など、小野市には魅力が沢山あるんです。
ーーメジャーデビューして4年、自身の変化、今後の目標は?
cyan
程よい加減で肩の力を抜くことができるようになりました。元々心配性な性格なんですが、不安や心配なことにも“なんとかなるさ〜”ぐらいの気持ちで向き合えるように。これは私自身のテーマでもある、“人との出会い”が今の自分を作っているのだと実感しています。これからも、ご縁を大切にしていきたいです。

つながる」が作られた時に誕生したキャラクター「ごえんくん」はcyanの母の手作りだという。アルバムのジャケット写真にもなっている。

コロナ禍は有観客ライブができなくなり、オンラインでのライブが増え、制作活動も多くなったという。
ーーコロナ禍、どんなことに挑戦しましたか?
cyan
あれもできない、これもできないと考えていたけど、逆に今だから出来ることがあるなって。ウクレレをはじめたり、苦手な機材で音楽や動画編集に挑戦したりすることによって、世界が広がりました。韓国語を独学で学んだり、落ち着いたら韓国でイベントも行いたいです。
自身のYouTubeチャンネル  でも色んな事にチャレンジ、「ニコニコキッチン」のCMをきっかけに(長谷川が出演、cyanはナレーションとCMソングを担当)元ボクシング世界三階級制覇王者の長谷川穂積と互いのチャンネルでコラボをしたり、チャンピオン直伝のボクシングにも挑戦している。

愛するからこそ、程よい距離感を

ーー今後の目標、ファンへのメッセージをお願いします
cyan
人間って一人になりたい時もあれば、誰かに寄り添ってもらいたい時もある。音楽って求めるといつでも来てくれ、寄り添ってくれる存在なんですよね。私自身がいつも音楽に助けられてきました。私の音楽が誰かにとってそんな存在になれたら…。あとは音楽とは良い距離感を保っていたい。なんでも余白がなくなると良いものも良く見れなくなるときがある。好きだからこそ、大切にして活動していきたい。
ーーその距離感って、恋愛やあらゆる人間関係と同じですよね(笑)
cyan
そうなんです。コロナ禍を通して痛感しています。おうち時間が続いて、自分と向き合う時間が増え、私は何がしたいのか?と、自問自答し続けました。そんな時に辿り着いたのが“距離感”。上手く保って付き合うことにより、音楽に対してずっと愛を持っていられる。そして、この愛が皆さんに届くと信じています。これからも課題はありますが、多くの人に私の音楽を聴いてもらいたいです。
筆者が同郷で同年代ということもあり、大いに盛り上がった取材。魅力溢れる彼女の話をもっと聞きたい…!そんな気持ちにさせられた時間だった。コロナ禍が明けたら、海外でも積極的に歌を届けたいとのこと。人とのつながり、ご縁を大切にする彼女の今後の活躍が楽しみだ。
インタビュー・文/ごとうまき