本作は実際に起きた出来事を基に製作、第92回アカデミー賞の国際長編映画賞にノミネートされたポーランド発のヒューマンミステリー。「ヘイター」「リベリオン ワルシャワ大攻防戦」のヤン・コマサ監督がメガホンをとった。
あらすじ
少年院での祈りをきっかけに深い信仰心を持つようになったダニエルは、前科者にとっては叶わぬ夢であると知りながらも、聖職者になりたいと願っていた。仮退院後に田舎の製材所で働くことになるのだが、その前にふらっと立ち寄った教会で何気なく嘘をついてしまい司祭の代わりを命じられる。ダニエルのカリスマ性、核心をついた言葉、創造的な祈りから多くの村人たちは彼の存在に救われ、徐々に彼を信頼するようになっていった。
やがてダニエルは数年前に村で起きた悲惨な事件に村人たちを救おうと次第に首を突っ込むようになる。しかし事態は思わぬ方向へと進み、その仮面も剥がれ落ちていく…
見どころ
青年ダニエルと司祭者トマシュと正反対ともとれる人物を演じるのがポーランドで最も才能ある若手の1人と称されるバルトシュ・ビィエレニア。包み込むような眼差しと確信をついた言葉から人々に救いの手を差し出すトマシュ、からのラストの狂気な表情、その演じる振り幅の大きさにはお見事と言わずにはいられない。
彼の持つ鋭く冷酷な瞳の奥にある優しさ、繊細さの中にある強さ。ダニエルの心の葛藤を巧みに表現し、彼自身が放つ儚さと不思議な魅力からは目が離せない。
善と悪の同居、対比する巧妙な演出、例えば刑務所での残虐な暴力シーン、激しいクラブミュージックに踊り狂う姿、に対しての静寂な祈りの時間、静謐かつミステリアスな映像美は、是非劇場で体感してほしいと思う。
レビュー
本作は西川美和作品の『ディアドクター』を彷彿させる。誰もが何者かになりすまし生きているのだが、聖職者や医師などのような人々により必要とされる職業ほどその存在は大きく、偽りの代償も大きい。
カトリック信仰が非常に強いとされるポーランドは、聖職者は人々の尊敬を集めてやまない。そんな聖職者を少年院上がりの青年が最も簡単に司祭者を演じて人々を惹きつけてしまう、結局のところ「カリスマ性」と「演じる力」「言葉」が人々を制するのではないかとさえ感じてしまう。
物事は表裏一体で型にはめることは簡単ではない。そもそもこの世はグレーなことばかりだと思っている。(だから人々はなんでも白黒ハッキリと付けたがる)
彼は善人か?悪人か?ただのサイコパスである
個人的にダニエルは「サイコパス」呼ばれる人たちの典型的な例ではないかと思っている。本作の説明を一言でするとすれば「サイコパスの男の話」ではないかと。
サイコパスが多い職業を調べてみた。
このように社会的に高評価とされる職業が名を連ねている。人々に奉仕する性質のものと言われている聖職者もこのリストにばっちり上がっている。
サイコパスの性格としては下記のようだ。
ようは著しく共感能力に乏しく、冷酷な人間として受け取られることが多いようだが、一方でこのような人々の存在や職業は世間から必要とされている。
常に物事は表裏一体、ある一定の物差しでは図ることは困難であることが本作を通してもうかがえる。
世界は灰色
本作の映像の色調は常に薄いグリーンのようなグレーがかった色調である。このように、結局のところこの世に完全な善も悪も存在せず、人の中には天使と悪魔が同居し、法に触れるか触れまいかといったことが基準値となっているだけで、世の中は全てグレーであるのだ。
これを読んでいるあなただって、あなたの隣に座っている人だって法には触れていない犯罪は犯していないものの、人には言えない悪いことは沢山してきているわけで・・・人には色んな側面があり、常に何かになりすまして生きているということを忘れてはいけない。
信仰心の意味を問う
キリスト教における「贖罪」の理念に触れるといった意味でも良い題材である。しかし無神教、無信仰である筆者にとって、今ひとつ本作に対し深く理解することが難しかった。ダニエルのように神を信じることができる人、人生において確固たる信念、心情を持つ人は何もない人に比べ圧倒的に強い。
しかし行き過ぎた信仰心もこれはまた問題であるが・・・。
本作は非常に難しく、ズッシリとした少し重いともとれるテーマである。またレビューの際感想を言葉にするにも頭を悩ませた作品だった。一方で観た人たちの評価はおしなべて良く、味わい深い一本だと。その儚くもミステリアスな世界観には虜になるはず。まだまだ全国劇場で上映中、是非劇場へ足を運んでみてほしい。
聖なる犯罪者