演歌の道、20年を重ねて――谷龍介が語る吉幾三プロデュース第3弾

インタビュー

デビュー20周年を迎えた演歌歌手・谷龍介。吉幾三による全面プロデュース第3弾となる「塒(ねぐら)」と「夢で抱かれて」が、2025年10月1日にリリースされた。前作までとは異なる表情を持つ新作について、また20年間の軌跡について、谷龍介が語った。

イントロからつかむ、新しい世界

今回は吉幾三先生がプロデュースを担当してくださる第3弾とのことで、とても嬉しかったです」

谷は笑顔でそう語る。これまでの吉幾三プロデュース「杖」「呉に帰ろうかの…」とは趣の異なる新作について、彼は開口一番、この曲の持つ親しみやすさに触れた。

「よくいろんなところで言われるんですけど、イントロが昔のカーペンターズの『遥かなる影』という曲に似ていると。だからイントロからなじみやすいね、という声が多いんです。確かに聴かせてもらった時に、グッと入れますよね」

楽曲のタイトルから想起される重さとは打って変わって、ポップスを思わせるメロディライン。このギャップこそが、「塒」の最大の魅力だと谷は感じている。

「20周年記念曲ということで、重い作品かなと思ったら、軽やかで明るい。そのギャップが良くて。不思議とね、自分の歌だけど何回も聴きたくなるんですよ。何か元気になりますね」

やんちゃな男の生きざま――吉幾三との創作の現場

「塒」の主題は、やんちゃな男の人生模様。谷はこの設定に、自分自身と吉幾三との共通点を見出している。

「今回は、やんちゃな男の話なんですけど、もうそれは僕のそのままです。末っ子だったので。実は吉先生も末っ子なんですよ。吉先生は9人兄弟の末っ子だと聞いて、驚きました。そういう意味で、この曲は吉先生の世界も入っているんです」

歌詞に描かれるのは、都会のネオンに惑わされ、ふらふらと歩く若き日の男。かつての恋人との偶然の再会、飲み歩いた夜の思い出。谷は特にこの部分に共感を覚えるという。

「『都会のネオンにつられてふらふらと、たまたま来たそのお店で、お前に似たやつがいて、昔付き合ってたやつがいるでしょ』とかね。そういうところも好きだし。『ほどほどにしてね、もう家に帰んなよ』という歌詞。若い時には夜遊びしたり、20歳ぐらいの時はどんちゃん騒ぎしながら飲み歩いて、『次の日は明日、明日だって』って。そういう頃が懐かしい。元気でしたよ、あの頃は」

躍動感のある歌唱法「遊べ、力を抜いて」

レコーディングの現場では、吉幾三からのディレクションが、谷の歌唱をより自由に、そして生き生きとしたものへと導いた。

「吉先生は、カラスの鳴き声とか、2番の歌詞の女の子のキャーっていう叫び声のところとか、本当に遊び感覚で歌うように導いてくださるんです。この曲は真面目に歌う作品ではなくて、力を抜いて、リズムを心地よく乗せていくという感じですね」

出だしの部分では、「力を抜いて」と、柔らかい表現で歌うよう指導された。そして、レコーディング中の臨機応変な対応も印象的だったという。

「最初、出だしの『夕焼け』の部分が出にくいということで、吉先生が『半音上げよ』って。急遽レコーディングで半音上げたら、ちょうどハマったんですよ。吉先生は様子を見ながら臨機応変に対応をしてくださるんです。『お前が歌いやすいようにやるから、遠慮なく言って。譜面も音符も変えていけるから』と。だから僕も緊張感の中でもすごく楽しくできました」

新しいアレンジャー、杉山ユカリの手腕

今作で特筆すべきは、新たなアレンジャーの起用だ。吉幾三のトリビュートアルバムで面識のあった、気鋭の女性アレンジャー・杉山ユカリが起用されることとなった。

「僕の新曲に関しての初のアレンジャーだったんです。いろんな編曲をされています」

そこから生まれた音は、予想を大きく上回るものだった。

「意表を突いてくれましたね。重い「塒」になるかなと思ったら、カーペンターズのように、明るく軽やかな感じで。アレンジャーが変わると、曲調も変わる。アレンジって大事だと再確認しました」

吉幾三作品をカバー

「塒」とともにA面に「夢で抱かれて」がカップリングされている。この曲は2001年4月25日に吉幾三が発売した楽曲のカバーである。

「実は、この曲、知らなかったんです。恥ずかしいですけど。今回、歌ってみてというお話をいただいて、YouTubeで調べてみたら、すごく寂しい歌だなって。でも聴けば聴くほど入っていきそうな、良い作品だなと。どういう風に歌おうかな、と悩みましたね」

吉の歌唱法を意識しながら、谷は独自のアプローチを模索した。この曲の表現方法について、彼は創意工夫を重ねたという。

「全体的に寂しく、切ない歌なので、表現力に力を入れて、言葉を繊細に置きながら、部分的に声を枯らしながら出す方法を決めてやったんです。例えば、出だしのところから『あれから何年来るの』というところを、柔らかく、枯らしながら切なく出す、という歌い方ですね」

レコーディング初日から、谷の歌唱は吉の目に留まったという。呼び出された部屋での一コマは、予期できないものだった。

「最初にレコーディングで歌ったんですよ。『ちょっと来て』と吉先生に部屋に呼ばれて、また注意されるかなと思ったんですよ。そしたら『なかなか上手く歌ってる。お前、女歌が合うな』」と。

ディレクターとの会話で、さらに評価は深まったという。

「『やっぱり女歌が合うな』『俺より上手く歌ってるな』っていう感じで、褒めていただいて。吉先生がおっしゃるには、『部分的に声を枯らして出すところは、俺ができないんだよな。お前できるから』」

ミュージックビデオは池袋で撮影――ふたたびの東京

「塒」のミュージックビデオは、東京・池袋で撮影されたという。その場所は谷の個人的な思い出が深く関わっていた。

「昔住んでいた沿線が池袋に近くて。東京に出てきた頃、右も左もわからないときに、ふらふらしていた思い出の場所です。」

東京での下積み時代、何も知らない若き谷龍介が歩んだ路の数々。その舞台を再び踏むことで、彼の中に新たな思いが蘇ったのだろう。

20年間の軌跡――苦難と喜びの積み重ね

2005年9月にデビューしてから、今年で20年。谷はその時間の重さをしみじみと感じている。

「最初、デビューした頃はいろいろ大変でしたよ。人に言えない苦労もたくさんありました」

広島から上京し、5年間の下積み時代とアルバイト生活。30歳でのデビュー。その後の各地での公演。全てが平坦な道ではなかった。

「デビューしてから、金銭的に困った時もありました。家賃も滞納してしまったりして。特にコロナの時。新しいことをやらなきゃいけないと思いつつも、踏み込めないんですよ。アルバイトもできない。給料をいただいたら余計にできないと思ったりして。うちの母も当時、寝込んでいたから、そっちの方も心配だったり」

その時期、さらに打撃は襲いかかった。

「父が救急車で運ばれて、入院したんですよ。カブに乗って畑に行こうとしていたところ、横から車がぶっ飛んで。記憶がなくなったらしいんです。」

しかし、谷の父親の生命力は、予想外のものだった。

「入院しているはずの親父がいないんですよ。みんな大騒動して看護師さんを探したら、勝手に家に帰ってきたらしい。『入院なんかやっちまうかい』って。病院に入院してても仕方ない、やることが多いから、こんなに寝てる場合じゃないって、帰ってきた。元気でしたね」

その父親は、今でも谷のコンサートに足を運ぶ。

「お父ちゃん、昨日ありがとう。どうだった?って電話して聞いてみると、『良かった、良かった』ってばっかり言うんですよ。褒めてくれるんです。昔は厳しかったですよ。絶対褒めなかった。」

舞台に立つ息子の姿を見守る父親。その笑顔が、谷にとって最大の報酬なのだろう。

亡き母親も、生前は最大のファンであったという。母への恩返しの思いが、今の谷の原動力の一つとなっている。

野球少年から演歌歌手へ――人生の選択

野球選手を目指していた少年時代。その夢が、いつしか歌の道へと変わった。

「やっぱり野球選手になりたかったという思いが今でもどこか残っているんですよ。でもふと考えると、野球選手になってたとしても、今は引退してると思うので。そう思うと、人生、歌の道を選んでよかったな。それは応援してくださっている皆さんのおかげ。皆さんが導いてくださったのだなと。」

野球で培ったハングリー精神。その経験が、つらい時代を乗り越える力となった。

「ここでちょっと一息ついて、次は30年の節目に向けてスタートを切っていきたいと思っています。何かでっかいことをやりたいなと」

吉幾三プロデュース第3弾。正反対の世界観を持つ2曲は、谷の表現力の幅広さを改めて世に知らしめる意欲作となっている。演歌の世界で、谷龍介は歩み続ける。その歌声が、多くの人々の心に届く日まで。

コンサート、ライブ情報

◉大阪発流行歌ライブ

11月19日(水)大阪発流行歌ライブ

◉谷龍介20周年記念絆コンサートPARTⅡ

2025年12月21日(日)

@グランドプリンスホテル広島

◉ 徳間ジャパンコミュニケーションズ 創立

60周年記念スペシャルライブ

2025年12月3日(水)17:00開演

@LINE CUBE SHIBUYA

インタビュー・文・撮影:ごとうまき