【吉幾三インタビュー】人に恵まれて今がある「細川たかしと山本譲二は死ぬまで親友」

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演歌界のレジェンドであり、作家としても幅広く活躍する吉幾三さんが、2025年1月29日に新曲「南部・・・春と夏」をリリースした。花巻、釜石、大船渡を舞台に、東日本大震災から14年目の思いを込めたこの曲は、故郷への愛と人生の深い情感が響き合う作品だ。本インタビューでは、新曲に込めた思いや、制作秘話を語っていただいた。芸能生活50年を超えても公演や創作活動を精力的に続ける吉さん。ユーモアを交え、時に胸を詰まらせながら語る彼の言葉から、歌に込めた魂と人間味が溢れ出た。

東北へのラブレター

── 新曲「南部・・・春と夏」は、どんな思いで作られた曲ですか?

いつも行っている花巻の定宿で詞を書きました。川沿いに桜の木が並んでて、春になると花びらが水面に散っていく。あの風景がね、頭から離れなかったんですよ。震災から14年、釜石や大船渡の港の風も思いました。東北の春から夏へ、季節が巡る美しさと、そこで生きる人たちの強さを、震災で傷ついた人たちに寄り添いながら、前に進む歌を歌いたかった。花巻は大きな被害はなかったけど、あの静かな山あいが心に響いて、この曲は東北に寄り添う一曲にしたかったんです。

── 震災の記憶と故郷が強く影響しているんですね。具体的なエピソードを教えてください。


そうですね……宮城の石巻で親しい友達を亡くしたんです。震災のあと、しばらくは信じられなくて。神戸の震災でも仲間を失ってるから、胸にくるんです。この曲の“春は3月”って歌詞は、3.11を思いながら書きました。歌うたびに、友達の笑顔が浮かんで、喉が詰まるんですよ。個人的な話だと、父親が亡くなったのも4月で、桜が咲き始めた頃だった。妻の誕生日もその時期でね、なんか不思議な巡り合わせだなって思いますよ。そんな思い出が、曲に溶け込んでるんです。

三曲それぞれ違った魅力

── 「心の唄」は吉さんが若い頃から通っている飲食店の思い出の楽曲をカバーされたとのこと。


この曲は、六本木の店で出会ったギタリスト、沼田さん (SUIHEISEN)が作ったものなんです。30年か、40年くらい前にカセットで出てた曲でね。僕がその店に飲みにいくたび、沼田さんがギターを弾きながら歌ってくれてた。いい曲だな、胸に沁みるなって思ったんですよ。ある夜、酔った勢いで「俺に歌わせてくれよ」って頼んだら、「幾三さんなら、ぜひ」って快諾してくれてね。あの店は、むさ苦しい男ばっかり集まる場所だけど、そこで歌うと心が軽くなるんです。歌にある“何か一つ足りない”って歌詞が、男の寂しさをそのまま表してるし、共感します。

── 「泣いてもいいですか」についても教えてください。


「泣いてもいいですか」は、八戸の後援会の会長さんが冠婚葬祭業をやっていて、CMを新しく作るから、みんなの心に残る歌を作ろうと提案したんです。“貧しかったながらも 楽しかった時代を”の部分は両親を想って書きました。子どもの頃の貧しさや、両親から学んだことが、全部歌に繋がってる気がします。父親は厳しかったけど、幸せって何かを教えてくれた。そしてとにかく母親は、いつも笑顔で僕を支えてくれてね。そういう記憶が歌の根っこにあるんです。

── 吉さんの楽曲にはご自身の経験が多く反映されているのでしょうか?


歌のほとんど、9割は架空で作ってるんですよ。だけど、女唄に関しては、飲みに行った時にホステスさん達に「こういう言葉、使う?」って聞きながら書くんです。「心の唄」は沼田さんの曲だけど、歌詞の“抱いて抱かれて 生きてきたけど 何かがいつも 足りない”“迷い迷わず 生きてきたけど 何かがいつも 足りない”の部分は僕のメッセージでもあります。

人と音楽に支えられて

── 吉さんはいまも第一線で活躍されていますが、続けることができた理由は?


人です。人に恵まれていました。もちろん裏切られたこともあるし、お金貸して返ってこなくて、何千万の負債を抱えたこともありますよ。もう返しましたけどね。その後お金を貸した人が返しに来たけど、「持って帰れ」って受け取りませんでした。理由があって逃げたんだからしょうがない。僕の周りにはいい人ばかりいた。千昌夫さんもね。いまだに足を向けて寝れませんよ。

── 音楽業界や歌番組について、どんな思いをお持ちですか?


番組の関係で歌を3分以内に収めてほしいなんて言うけれど、それじゃ物語を伝えきれない。歌はフルコーラスで歌ってこそ、心に届くものです。昭和の歌謡曲には、詞もメロディーも深いものがたくさんあった。若い子たちにも、そういう歌を知ってほしいし、それを歌ってくれる歌手も増えて欲しいですね。僕も、ボブ・マーリーやラテン音楽を聴いて刺激を受けてますが、日本の歌の良さは特別だと思うんです。音楽に携わってる人が、音楽を知らない人が多い気がするから、もっと音楽を愛して、いい番組を作ってほしいですね。

── 社会や政治についても率直な意見をお持ちですよね。何か思うことは?


政治家には、もっと国民の生活を見てほしいんですよ。予算委員会で話してるお金って、俺たちの税金なんだから。議員の数だって、半分にしてもいいんじゃないかって思っていますよ。日本も、政治も音楽もどこ向いてるのかなって思いますよ。でもね、結局は人が大事。政治も音楽も、人の心を動かすものであってほしいですね。

「継続は力」後輩たちに伝える言葉

── 後輩やお弟子さんたちとの関係はいかがですか?

ナオキ(真田ナオキ)はもちろんですが、レオン(新浜レオン)もよく飯に連れて行ったり飲んだりしますよ。ナオキはあんまり飲まないんだけど。仕事の話はあんまりしないけど、「何年続けてベテランになったとしても、常に頭を下げなさい」そして「とにかく続けなさい、継続は力だ」と、伝えています。僕もね、人に恵まれてここまで来れたし、長いことやっていると必ずいいことがあると思っています。

── 人生で大事にしていることと、一番幸せな瞬間を教えてください。


一つは人を大事にすること。僕は嫌いな人なんていないんですよ。「来る者は拒まず、去る者は追わず」という精神でいます。歌手仲間で大切な人は、細川たかしと山本譲二。この2人は永遠に親友だろうなぁ。誰が死んだ時、誰が弔辞を読むかって話もしてるしね。あとは家族も大事ですね。妻にはずいぶん苦労かけたから、また海外に行ってゆっくり旅をさせたいって思ってます。最近は家で夕飯を食べて、マッサージチェアに座って時代劇を観るのが幸せですね。酒は毎日飲みます。外の酒と家の酒はまた別、家でも毎日晩酌しますよ。

── 60周年に向けての今後の展望を教えてください。


60周年は、キーを半音下げて歌うのならやらないと思います。歌手として、歌はキーを半音下げるようなら潔くやめるつもり。たとえば「雪國」とか、最近ちょっとキツくなってきたからさ。でも作詞や作曲、芝居を書くことはまだまだ続けるつもりです。日本の歌を、若い子たちにも届けたいんですよ。それに僕は今になって、やっとお客さんが見えてきました。これまでは歌を伝える一方だったから。舞台からお客さんが泣いたり喜んだりする姿を見て、あぁ幸せだなぁとしみじみ思っています。

インタビュー・文・撮影:ごとうまき