【天賦の才】MV再生回数3ヶ月で23万回!本格お芝居演歌の新星・朝花美穂インタビュー

朝花美穂
アーティスト

「演歌の申し子」「本格お芝居演歌の新星」などと注目される演歌歌手・朝花美穂をインタビュー!

2022年4月6日に発売された朝花美穂の5thシングル「しゃくなげ峠」は、2022年6月20日付の週間 演歌・歌謡シングルランキングでも上位をキープ、徳間ジャパン演歌・歌謡曲チャンネルでは、ミュージックビデオ再生回数が、わずか3ヶ月で23万回を達成するなど、ますます注目を集めている。23歳とは思えぬ圧倒的な天性の歌唱力と表現力を持つ朝花。インタビューを通して見られたのは、演歌と大衆演劇を愛する等身大の23歳だった。彼女の魅力を深掘りしていく。

新曲「しゃくなげ峠」について

朝花は2018年5月9日に「なみだの峠」でデビュー。5thシングル「しゃくなげ峠」の作詞家に、「花街の母」や「釜ケ崎人情」「はぐれコキリコ」などを手がけた、もず唱平氏を迎えて朝花美穂の新境地を見せた作品となっている。

朝花
これまでに恋の歌を歌ったことがなく、最初は私に歌えるのか?といった不安もありました。今の私と同年代の男女の禁断の恋が描かれています。女性は20歳の遊女、もちろん遊女になった背景には色々あって…。遊女が外に出ると掟破りとして罰せられる。そんな中、命をかけて愛する男性と、共に生きていくといった強い決意と、凄まじい覚悟が感じられますよね。

これまでは演じる側で歌ってきたが、今作では物語を俯瞰し、初めて“伝い手”として意識したという。朝花にとっても新たな挑戦だ。

朝花
恩師の宮下先生やディレクターさんにコツを教えて頂いたんですが、最初は物語を“伝える”と“演じる”の表現が混乱してしまい、戸惑いました。ただ、自分の歌声の録音を聴くと“歌の重さ”の意味や、伝えることと演じることの違いもよく分かりました。

自分の歌声を客観的に聴きながら表現の仕方を習得したというが、録音も膨大な量になったという。一方でカップリング曲の「海狭酒場」は普段通り、演じて歌った失恋ソング。

人生の礎を作ってくれた天国にいる祖母

1998年鳥取県米子市で生まれ育った朝花は、カラオケ店を経営しながら、地元で歌と踊りのステージを披露していた祖母の影響を受け、3歳で初舞台を踏んだ。

朝花
3歳で初舞台を踏んだ時のことは、ぼんやりと覚えています。おばあちゃんに“楽しかった?”って聞かれたら、“パチパチが少なかった”と応えていたみたいです(笑)。

小学生時代は、休日になれば祖母のカラオケ店を手伝い、芸事漬けの日々を送っていた。そんな朝花にとって、歌や踊りは生活に溶け込み、常にそこにあるものだった。

朝花
土日はよく、カラオケ発表会のゲストにお招きいただきました。お店ではお客さんにもよく“歌って!”と声をかけていただき、一緒に歌っていました。でも歌う曲は演歌ばかり。

ーー小学校、中学校時代はちょうどKARAや少女時代がブームでしたよね?

朝花
流行ってました!休み時間とかに友達に合わせてKARAの真似してお尻を振ってました(笑)。だけど友達に合わせているだけ、やっぱり好きなのは演歌、昔から演歌一筋でした。

大衆演劇好きは筋金入り

また大衆演劇が趣味だという朝花、好きになったきっかけは小学生の頃で、高校生の頃は米子からバスに乗って1人で大阪の大衆演劇を観に行っていた。

朝花
小学生の頃から女形、男形を演じていて、ある日同じような姿をしたポスターを見かけて。それで岡山まで観に行ったんです。そこから大衆演劇の魅力にどっぷりはまりました。

高校生になって祖母が病気になり、コンビニとうどん屋のアルバイトを掛け持ちして家計を支えながら、歌と踊りを学び続けた。

朝花
おばあちゃんが病気してお店を休業していたんです。朝5時からコンビニで働き、その後は地域の中で一番時給がよかったうどん屋で働いていました。初めてお給料が出て、おばあちゃんに見せてあげようと思ったその日に天国に旅立ちました。

2014年の最愛の祖母の死は、朝花自身に大きな影を落とした。

朝花
私にとって母のような存在でした。亡くなったのも急だった。毎月一回おばあちゃんの病院に付き添っていたのに、その日に限って、すぐ近くの大衆演劇を観に行ってた。亡くなった連絡をもらった時は頭が真っ白に…。

芸事に厳しかったという祖母の教えは、朝花の基礎を作り、今もその心意気が継承されている。

朝花に転機が訪れたのが2016年、鳥取県三朝町で開かれた「NHKのど自慢」で島津亜矢の「縁(えにし)」を唄って見事チャンピオンに。そこから“歌手になりたい”と強く意識するようになった。

朝花
それまでは地元で、歌って踊っておじいちゃんおばあちゃんに喜んでもらえたら…、と思っていました。ずっと地元でボランティアとして舞台に出演していたので。のど自慢には母が私に内緒で応募したんです。“どうせ受からんでしょ!”って思っていたらチャンピオンに選んでいただいて。でも、祖母が生きていたら絶対に反対していたと思います。

それから朝花の歌手人生がスタート。2017年に上京し、作曲家・宮下健治氏に師事。2018年にデビューを果たした。

デビュー後

ーー師匠の宮下先生はどんな人?

朝花
とても温かく、優しい先生です。“歌手として”だけでなく人としての生き方、正しさを教えてくださる。

ーー今年でデビュー5年目、デビュー当時からの変化は?

朝花
衣裳などの着替えが早くなりました(笑)。デビュー当時はさぐりさぐりで、着付けとヘアメイクをしていて3時間かかっていた。それが今では1時間でできるように。“習うより慣れろ”と常に言われていたのが、今しっかりと活きています。

五木ひろしによって一皮むける

「五木ひろし劇場」(2022年5月13日(金)~5月22日(日)まで明治座で上演された)へ出演、念願のステージが叶い、無事に千穐楽を終えた朝花、次回は大阪・新歌舞伎座での公演が決定している(2022年10月20日(木)〜30日(日)まで)。

ーー「五木ひろし劇場」(明治座)、初めての舞台を終えた心境は?

朝花
10日間の台本のない公演。“5大作曲家を歌う”をテーマに、2日に1回演目が変わります。作曲家の先生のレッスン生としてさまざまな役を演じました。その際に五木さんから毎回無茶振りをしていただき(笑)プレッシャーや緊張感もありましたが、終わった後の達成感は大きかったです。

恥を捨てればなんでもできる

朝花
これまでの私は真面目で笑いがないイメージでしたが、はっちゃけた3枚目の朝花美穂を出せた。これも五木さんのお導きがあってこそ。また共演者とも絆が生まれ、千穐楽のサンポーレでは涙が止まらなかった。とくに市川由紀乃さんはお姉さんのような存在です。

10月の新歌舞伎座公演でも、明治座で出演したメンバーが集結、朝花も楽しみにしているという。

韓国コスメにハマっている朝花さんは、顔パックにも詳しい。目を輝かせながらパックの魅力を語る姿は等身大の23歳。一番のオススメは桃のセラシドパックとのこと。

私は“花”、皆さまの応援が活力に

今年からキャンペーンも再開し、ファンとの交流もできるように。コロナ禍前の景色を少しずつ取り戻しつつある。市観光協会「米子ふるさと観光大使」と鳥取県「大山ブランド会親善大使」を務める朝花は、地元で応援してくれる人々とは全く会えていない、と淋しげな表情を浮かべた。

朝花
今年もお仕事で山陰地方に行く機会があるので、そこで地元の方達と交流できたら…。

ーー今後の目標、やってみたいことは?

様々なことに挑戦したいという朝花、自分のコンサートでも照明や演出にこだわりがあるという。

朝花
来年はデビュー5周年を迎えます。コンサートで、皆さまに成長した姿を見てもらいたい。あとは、袴姿で男形に扮してタテをやりたいし、YouTubeにも挑戦したいし…。あれもこれもしたくて、追いつかないです(笑)。

ーー自分を何かに例えたら?

朝花
花です!花は水をもらえないと枯れる。私も歌を届けて、皆さまの笑顔を受けてハッピーに、元気になれる。お客さまの前で歌わないときは、私自身も枯れてしまうんです。自分の名前にも“花”が入っているので特別ですね。

聴いてくださるお客さまがいらっしゃるからこそ、花のように美しく輝いていられる。私たち聴き手にとっても朝花という‟花”が心を豊かに、彩をもたらしてくれている。そして、やがて大輪の花を…。

オフィシャルサイト:朝花美穂 Official Web Site (asakamiho.jp)

オフィシャルブログ:朝花美穂オフィシャルブログ「美穂の花道」Powered by Ameba (ameblo.jp)

徳間ジャパン:朝花美穂 | 徳間ジャパン (tkma.co.jp)

インタビュー・文/ごとうまき