【平野莉玖インタビュー】様々な活動をしている根底にある思いは“僕の音楽に辿り着いてもらえるきっかけになれば”

アーティスト

アーティスト、俳優、タレント、インフルエンサー、アパレルブランドの経営者兼デザイナーとして、様々な顔を持ち“マルチ・エキスパート・アーティスト”の異名を取る 平野莉玖。そんな彼の1stアルバム『Just The Way We Are』が発売中だ。今作は平野にとってメジャーデビューに至るまでの集大成であり、“平野莉玖”として新たにスタートを切った、覚悟を決めたアルバムだという。関西プレスに初登場となる平野さんにインタビュー。アルバム曲の制作秘話のほか、これまでの軌跡と今後への思いも語っていただきました。

ありのままの自分をさらけ出した

── どのような思いで制作に臨まれましたか?

平野
今作は収録曲が16曲ととても多いのですが、再活動してからの楽曲を全て詰め込んでいます。2023年からファーストアルバムを作ることを視野に入れて動いてきましたが、自分が納得できるような形で作りたかったので全て収録し直しました。今回のリード曲『Just The Way We Are』にあるように“ありのままの自分をさらけ出す”というコンセプトで制作しました。

── SEAMOさんの『Cry Baby』をアレンジし、SEAMOさんもフィーチャリングされていますが、この曲にはとても思い入れがあるとのことですね。どのような経緯で実現したのでしょうか。

平野
2023年の夏に愛知県で、子どものためのチャリティーイベントがあって、東海エリアのラッパーやシンガーが集結してチームを作るという中に僕も入れていただき、ご一緒しました。その時に、子どもの頃からずっと大好きだったSEAMOさんに『Cry Baby』への愛をお伝えし、カバーしたいとお願いしたら快諾してくださって。本当に素敵な人で、こんな年下の僕にも丁寧に接してくださるし、プライベートでも仲良くさせていただいています。車好きなのも共通していて、会うと毎回車の話をするんですよ。

── 8曲目の『逢いたい feat.Crystal Boy』では、Crystal Boyさんとフィーチャリングされています。15曲目の『逢いたい』は平野さんのソロバージョンが収録されていて、聴き比べられるのもいいですね。

平野
『逢いたい』は、音楽活動を再開して3曲目に作った曲です。Crystal Boyさんもフィーチャリングすることに快諾してくださり、Crystalさんの声に合う『逢いたい』をお願いしました。ラップの部分はCrystalさんに書いてもらったんですよ。後半の掛け合いの部分も、レコーディング時にディスカッションしながら『逢いたい feat.Crystal Boy』が出来ました。8曲目、15曲目それぞれ違った魅力を感じてもらえると嬉しいです。

── 名古屋出身の平野さんが歌う『名古屋 Delight』はパンチが効いていますよね。リズムのノリも良くて、地元愛で溢れてる。

平野
いまだに地元から離れられず、今後も離れるつもりはありません。これからも生まれた故郷を背負って、全国、いつかは世界に向けて名古屋をアピールしていきたいですね。この曲はドラマ『令和の三英傑』のために書き下ろしたもの。挿入歌に使ってもらいました。

自分自身が大きく成長した3曲

── ところで作詞、作曲、編曲などを手がけておられるNu CANdYってどんな方なのでしょうか?

平野
クリエイティブチームです。謎のベールに包まれていますが、この中には凄い作家さんもいるんですよ。僕自身、詞を書いたり曲づくりに関わっているので、僕もNu CANdYの一員として動いています。今回もリード曲の『Just The Way We Are』の歌詞は僕がほとんど書きましたが……、基本的にはほとんど僕が書いています。

平野
『Stupid』や『『Doubt it』『細胞レベルで恋してる』から、Nu CANdY に手伝ってもらうようになりましたが、この辺から一気に僕のボーカルとしての技術が向上したと自負しています。これまで自己満足の世界でやってきたのを、ニュアンスやアドリブ、フェイクやコーラス、ハモリなどいろんな部分をご指導いただきながらレコーディングしたので、この3曲で大きく成長させてもらいました。

── 苦労した楽曲は?

平野
16曲目の『Play Ball』です。この曲は以前スペインに行った時にスペインの文化に衝撃を受け、インスパイアされた曲。歌詞の中にはスペイン語が入っているのですが、その発音もとても難しかったですし、歌い方のニュアンスなども頭では理解できていてもそれを形にするのに苦労しました。巻き舌でラップをするってとても難易度が高いんですよ。だけど、この曲を歌うと僕自身も自信が湧くので、勝負事の前や試合前に聴いてもらえると嬉しいです。

子どもの頃から培ってきたものが……

── 平野さんは子どもの頃から芸能活動をされていて芸歴が長いのですね!ダンスもラップも歌も、子どもの頃からの活動が全て活かされていますよね。

平野
5歳でダンスを始めて、ラップを始めたのが小学5年生の時。ずっとラップしかしてこなかったのですが、21歳の時に音楽活動を再開し、そこからメロディーを歌うようになりました。昔から音楽を聴くことが好きでいつか歌を歌いたいと思っていました。ラップはリズム感が大事なので、特にダンスはやっていて良かったと思っています。ダンスはスポーツにおいてもいいですし、全ての基礎になりますから……!ちなみに中学、高校と部活には入っていなかったものの、1人でストリートバスケをしていました(笑)。

── 中学3年生で一旦芸能のお仕事をお休みされていますが、中学卒業してから21歳までの6年間は何をされていたのでしょうか?

平野
何もしていませんでした。小学校上がる前から中3まで芸能活動をし、大人たちに囲まれる生活をしてきたので、普通の高校時代を過ごしたかったという思いがありました。それに周りの友達が羨ましかったんですよね。高校卒業後は就職し、造園業の道に進みました。街中で木を切ったり草刈りしたり、個人宅の庭の手入れなどしたり、3年間働きました。

── 3年間造園業をした後は何を?

平野
自分で何かをやりたい、新しいことを始めたいという思いが湧いてきて、同級生とアパレルブランドを立ち上げました。洋服がずっと好きでしたし、アパレルブランドだと仮に僕が死んだとしてもずっと残るからという理由です。だけど洋服のことを学んだわけでもなく、アパレルショップで働いたわけでもないので、知識ゼロからのスタート。最初は大変でした。一緒に始めた仲間と「自分たちのブランドを作りたいので教えてください」と、名古屋市内の繊維工場などを全部回ったんですよ。そういうことを地道にコツコツ積み重ねて、ようやく形になってきました。アパレルブランドも2025年5月で5周年を迎えます。

── そして芸能活動を再開。どんなきっかけがあったのでしょうか?

平野
ファッションと音楽が親和性があるというのも一つですが、BANTY FOOTさんの『交差点 feat. EXPRESS 』に背中を押されました。この曲を聴いているうちに次第に昔のこと、好きな音楽のことを思い出したんです。“このままじゃダメだ、僕が本当にやりたいのは音楽だ”と。そして2021年5月からRIKUとして再活動を始めました。

──“マルチエキスパートアーティスト”とキャッチフレーズにあるように、平野さんは多才ですよね。

平野
そう言ってもらえるとなんだか聞こえがいいですね(笑)。僕はやりたいと思ったことを躊躇せずにとりあえずやってみるタイプ。ゆえに様々なことを経験することができました。そんな中でも歌は死ぬまで歌い続けたいと思っています。いま、様々な活動をさせていただいていますが、それも“僕の音楽に辿り着いてもらえるきっかけになれば”、という思いで取り組んでいます。目標は武道館に立つことですが、一番大事なことは、僕の音楽が聴いてくださる人の胸に刺さったり、誰かの背中を押せるような曲を届けること。1人でも多くの人に音楽で元気や勇気を与えていきたいです!

▼リリース情報
2024年12月18日(水)メジャーデビューアルバム「Just The Way We Are」
https://www.teichiku.co.jp/artist/hiranoriku/discography/TECI-1827.html

▼オフィシャルホームページ
https://hiranoriku.com/
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インタビュー・文・撮影:ごとうまき