【羽山みずきロングインタビュー】良い歌を届けるためにも、人間力を磨いていく!

アーティスト
伸びやかでいて、聴く人が穏やかな気持ちになる優しい歌声を持つ演歌歌手・羽山みずき。穏やかな雰囲気を纏い、おっとりとしたキャラクターや品の良さが人気だ。そんな彼女、デビュー前は山形県鶴岡市にある出羽神社で6年間巫女を務めていたという異色の経歴をもつ。今回は3月8日に発売された新曲『ひとつ花』のことや、羽山の人物像を紐解いていく。しなやかさと芯の強さを持ち合わせた彼女の魅力を感じてもらいたい。

羽山みずきの新たな魅力が咲いた曲『ひとつ花』

── 新曲『ひとつ花』はこれまでとは違った楽曲、歌い方だと感じました。
羽山
この曲は歌詞がとても短く、“私だけを愛してほしい”という女性の思いが強く訴えられた作品です。これまでの曲の主人公はふんわりした女性が多かったので、等身大で歌っているところもありましたが、今回はストレートで、普段見せない私を見てもらえるのではないでしょうか。
──最初この歌詞を見て、羽山さんはどのように感じましたか?
羽山
自分と真逆の女性だと感じましたし、戸惑いもありました(笑)。こんなに強く訴えてうるさくないのかなと(笑)。もちろん皆さん私だけを見て愛してほしいといった気持ちはあると思うのですが、私は言わないタイプ。この歌で普段言わない気持ちをしっかりと出しています。また詞の中の相手の男性は、相当の遊び人か、浮気症なのかと思いました(笑)。互いに思い合っていると「私一人を愛してください」なんて言葉は出ないと思うんです。だけど、この歌は男性からとても好評なんですよ。シンプルで短いからこそ、良いのだと思います。
 
──女性はこんなシンプルな言葉では片付かないですよね(笑)、もっと言いたいことが沢山。
 
羽山
そうなんです。今回は普段見せない羽山みずきが“私だけを好きでいてほしい”というストレートな言葉を伝えるというコンセプトに沿って、峰崎先生が詞を書いてくださいました。師匠で作曲してくださった聖川先生とは自宅も近く、頻繁にレッスンに行くのですが、この曲の資料をもらった瞬間に先生のお宅に駆け寄りました。「感情はどこで出せば良いでしょう?」と。
 
── この曲で苦戦した部分などはありますか?
羽山
今回は自分を作らないといけなかったですし、歌詞が短いがゆえに、感情のピークをどこに持っていくべきか悩みました。それぞれの最後のフレーズ「私一人を 愛してください」の部分に感情を大きく乗せて、ここぞとばかりに歌で訴えています。技術的な面で苦戦したのは、最後の“愛して〜”の部分。レッスン時にも音程を下げてほしいとお願いするほどキーが高くて、最初はファルセットで歌っていました。少しずつコツを掴んで、やっと地声で歌えるようになりました。

──カップリング曲『私のあなた』は、別れの曲でありながら明るい曲調です。
羽山
この曲はステージのエンディング用に作ってもらった曲です。別れの曲だけど、決して悲しくない、希望が感じられる曲。歌う時も、“次いつ会えるかな?”“また会いましょうね”という思いを込めて歌っています。レコーディングではこの曲は自分らしく歌うことができましたね。この世界に入って、沢山の人との出会いに恵まれ学ばせてもらっているので、これからも縁を大切にしていきたいです。

まさか歌手になるなんて!自分でも想像していなかった。

──羽山さん自身についても教えて下さい。山形生まれの羽山さんは、物心ついた頃から演歌歌謡が好きだったとのこと。
羽山
好きでしたね。あの節回し、曲調が好きで。近所のおじいちゃん、おばあちゃんの影響も大きかったのだと思います。今でも近所の方がテレビ観て、“痩せたんじゃないか、ちゃんと食べているのか?”って、祖母に声かけてくれるみたいです。嬉しいですよね。
 
──子どもの頃から歌手に憧れていたのですか?
 
羽山
それが、全く(笑)。歌は好きだったけど、歌で食べていけるなんて、これっぽっちも思っていないし、自信もありませんでした。2015年3月に受けたオーディションも、思い出作りとして軽い気持ちで受けました。「東京さ行って、東京の会場で歌うことなんて一生のうちで最後だから」と。書類選考に通った時も「歌手になるつもりはない、実家にいて巫女さんしてればいい。」って母に言ってたほど。
──だけど、まさかのオーディションに合格。人生何があるかわかりませんね。
 
羽山
チャンスを頂いて、これは縁だと思いました。ここでやらないと一生後悔するんじゃないかって。やるからには後悔しないように思い切ってやろうと、決心しました。あの時、オーディションを受けてなかったら、ずっと山形にいて巫女さんしていたかもしれませんね。
 
──歌手になるまでは山形県の出羽三山で巫女さんを6年間されていましたが、なぜ巫女さんに?
 
羽山
高校受験のときに、地元の出羽三山に祈願に行ってから、ずっと巫女さんに憧れていました。高校生で進学するか迷っていた時に、たまたま出羽三山で巫女さんを募集していて、そこから働くことに。いざ巫女になると、所作や舞、先輩からの指導(愛ある指導)などが意外とキツくて……。特に最初の3年間は苦労しましたね。何度も辞めようかと思いましたが、この経験が今も生きているし、続けてよかったと思っています。

意外にも小学校の頃はオテンバだったという羽山。穏やかな性格だけど、正義感が強い。

“心”を大切に。コロナ禍を通して見つめ直す

──上京してしばらくはどうでしたか?
 
羽山
上京して半年くらいは、山形に帰りたくて帰りたくて仕方なかったんです。夕暮れ時や夜になると故郷が恋しくて、よく泣いていました。“いつか故郷に戻るんだ!”って。だけど、今はたまに帰ってリフレッシュする場所になっています。
──歌手として活動する中で、羽山さんが大切にしていることは?
 
羽山
歌ももちろん大事ではありますが、やっぱり人間力が基礎だと思っています。自分の中の確固たる信念と、肉付けの部分を大切にしていきたいと。例えば、誰かに言われたことが受け入れられなくても、その言葉は心の片隅に置いておこうと思っています。それが後に生かされることがある。そう思うようになったのは、この3年、コロナ禍で自分を見つめることができたからではないでしょうか。
 
 ──自分を見つめることができた。コロナ禍は羽山さんにとってどんな3年でしたか?
 
羽山
人間力を磨く3年だったのかなと。私はとにかく家族が大好きで、一方で家族に甘えていた部分もありました。でもこれではダメだと気付かされたし、仕事への姿勢や向き合い方も変化しました。一方で自分が大切にしている“真心”は、これからも大切にしていこうと思っています。大変な世の中で、辛い思いをされた人や亡くなられた方も沢山いらっしゃって、自分だけのことを言って申し訳ないのですが、この3年がなかったら今の自分はないかもしれません。

心折れそうな時に何度も支えられた

──5月17日の「大阪流行歌ライブ」にご出演されましたが、大阪にいらっしゃるのは4年ぶりになるのですね!
 
羽山
久々の大阪で、緊張した部分もありましたが、関西の皆さまがとにかく明るくて温かくて、あっという間のステージでした。美味しいたこ焼きを食べたりと、大阪グルメも堪能しましたよ。7月23日(日)には、大阪カルダモンカフェにて「羽山みずき大阪LIVE」を行うので、また大阪の皆さんにお会いできるのが楽しみです。今後はファンクラブのイベントも充実させていきたいので、ライブなどを通して、皆さんと一緒に楽しい時間を紡いでいきたいです。
 
──最後にファンの方へメッセージをお願いします。
 
羽山
いつも皆さんに支えられ、感謝の気持ちでいっぱいです。辛い時、この仕事を辞めて山形に帰ろうと思ったことが何度もあります。そんな中、応援してくださる皆さんの温かいメッセージが胸に刺さり、もう一度頑張ろう!という気持ちになりました。これからも、人間力を磨きながら、いろんなご縁を大切にして、私らしく楽しみながら進んでいきます!このまま、ずっと寄り添ってもらえたら嬉しいです。
インタビュー・文・撮影/ごとうまき