幻のロックバンドのアルバムが2024年5月に53年ぶりに復刻 。バンドの名は「THE RICH BEGGARS 」。石井誠(Drums & Vocal)、藤沖豊紀(Guitar)、大西正美(Bass) のトリオで、1968年に結成されたバンドだ。解散記念として、1971年に100枚限定で自主制作された『 HERE COMES THE RICH BEGGARS』は、70年代の時代感をそのまま残して復刻。
当時はボーカル&ドラム担当で、 現在は株式会社はた企画代表取締役として、 音楽ライターとしても活躍中の石井誠氏に当時の制作秘話や、 エピソードなどを語っていただきました。
赤司さんの熱意に心動かされた
── 『HERE COMES THE RICH BEGGARS』の復刻のお話をメディコム・ トイの赤司竜彦さんからいただいた時の心境は?
青天の霹靂でした!あのアルバムを最後に「THE RICH BEGGARS 」は過去に葬ったつもりでしたから……。昨年の12月に、 赤司さんから「2年間探しました。 ドラム叩いている方が石井さんですか?」 という内容のお手紙をいただきました。 連絡先が書いてあったのでお会いしましたが、僕は開口一番に「 何を考えてるのですか?」と、言ってしまいました。 だけど話をしていくうちに、 赤司さんは商売目的ではないんだとわかりました。情報がない中、 2年間探し続けた彼の熱意と思いに打たれ、 復刻することになりました。人生何が起きるか分かりませんね。 赤司さんはセカンドアルバムも考えておられるようですが……、 ないない(笑)。
── 1971年当時、どのような思いで、『HERE COMES THE RICH BEGGARS』を制作されたのでしょうか?
同志社大学の友人で集まって作ったバンドなので、 最初はお遊びのような感覚でやっていました。大学4年間のうち、 後半の2年間は学生運動が激化して、 大学もバリケードで封鎖され、学校に入れない状況。 だけど僕たちからすればラッキーなわけで、 その2年間はバンド活動に集中し、 オリジナル曲を沢山作りました。
とはいえ、 この頃すでに自分の音楽に対する才能に限界を感じていたので、 プロを志すことはありませんでした。 他の2人も就職先が決まっていたので、 このバンドは大学卒業と同時に終了。 解散記念として制作したのがこのLPで、友人・ 知人に配りました。そして数年から数十年経って、 誰かが持っていたLPを売ったのでしょう。中古で8万〜 20万で市場に流れていたことも知っていました。 もし会えるなら、この中古のLPを買った人に会いたいですね。「 何でこんなもの買ったんだ?」と(笑)。
レコーディングは映画のアフレコスタジオで。
── 楽曲14曲が全て英語。当時では珍しかったのですね。
ESSという英語サークルに入っていたのである程度の英語ができ たのもあって、全部英語で歌っていました。全て英語で歌うって、 当時は珍しかったと思います。ただ僕は日本語で「 お前を愛してる」なんて歌うのが恥ずかしかっただけなんですが… …(笑)。ちなみに僕がこの業界に入ってから結成し、 50年以上やっているバンド「RIZZ(リズ)」では、 全てパンク系のカバー曲ばかり歌っていますが、これも全て英語。 MCも英語でおこなっています。
── 1970年代の空気感が音を通して伝わってくるところが、 このLPの最大の魅力だと思います。
激動の1970年代の社会の空気が入っていると言われますが、 僕たちの音楽を追求して、 当時やりたい事をやって詰め込んだだけなんです。 当時レコーディングした場所が、 京都にある映画のアフレコスタジオだったこともあり、 雑音もたくさん入っていました。 ですが復刻版では雑音はクリアになっています。
──最後の曲『MY LOVELY SONGS』はライブバージョンとのことで、 臨場感が感じられます。歌詞にはロック魂も感じられますし。
この曲は一発で録りました。後輩が何人か見にきていて、 最後に一緒に入って楽しく歌ったので、 その場の雰囲気が感じられると思います。歌詞に関しては、 俺の好きな歌を歌う、嫌いな奴は歌わなくていいぞ、 賛同しなくていいぞ!という意味を込めています。僕は“ 頑張れソング”が大嫌い。「想いは必ず届く!」「夢は必ず叶う」 とか、そんなのは綺麗事。叶わない人の方が多いのだから……。“ 頑張れソング”は“無責任ソング” だといつも言っているんですよ。 そういった気持ちは昔から持っていました。
未来のことはわからないから、いまを懸命に生きよう
── 大学卒業後は、オリジナルコンフィデンス(オリコン) 大阪総局に入社。多くのアーティストにインタビューをされ、 別名「マグナム石井」としても活躍しておられます。音楽評論家、 ラジオDJ、 ジャーナリストとして幅広いジャンルの音楽に関わっておられるの ですね。
音楽に携わる仕事がしたいと入社しました。オリコンにいる時は、 ジャンルを問わず1日5〜6人取材していました。 つまり年間1000人近いアーティストにインタビューしていたこ とになります。インタビューで盛り上がった時、 LPを作ったという話はしていましたが、 さすがにプロに学生バンドが自主制作した音源を聴かせる勇気はあ りませんでした。それに僕はインタビューをするとき辛口、 毒舌な“マグナムトーク”で展開するので、 それがブーメランで自分に返ってきたら嫌だな、と(笑)。 そういう気持ちもあって自分たちのLPは封印していたのですが、 まさかこうして復刻の時を迎えるなんて夢にも思いませんでした。
── 50年以上音楽業界で紆余曲折を経てこられた石井さん、 いまの音楽業界をどのように見て、感じておられますか?
音楽が簡単に消費されていると感じています。 ポップス系は毎週デジタルで新曲を配信していますが、 覚える時間も、我々に届く時間もない。 そんな軽薄な意識でいいのか!?と思っています。
── 53年前の石井青年に声をかけるとしたら何を伝えますか?
「この先おもろい事あるで。頑張れや!」でしょうか。 僕のポリシーは「All or Nothing(100か0)」と「NO FUTURE(未来はない)」。これはパンクの基本なんですが“ 未来のことを考えるな”“いまをしっかり生きろ” ということを意味しています。 僕だって75歳になるまでこの仕事をするなんて思ってもいません でした。明日のことなんて分からないから、 1日1日をしっかり生きることが大切だと常に思っています。「 Tomorrow never knows」なんですよ。
インタビュー・文:ごとうまき