映画ファンへ贈る、忘却に抗う1本──『大統領のケーキ』が突きつける不条理と生命の輝き

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映画

1990年代、独裁者サダム・フセイン政権下のイラク。国連の経済制裁により深刻な物資不足に喘ぐ国内で、国民に課されたのは「大統領の誕生日を盛大に祝うこと」というあまりにも不条理な強制だった。
7月10日(金)より全国公開される映画『大統領のケーキ』は、世界中の映画祭で熱狂を巻き起こし、カンヌ国際映画祭新人監督賞(カメラ・ドール)と監督週間観客賞のW受賞、さらにはアカデミー賞国際長編映画賞のショートリスト選出という快挙を遂げた傑作だ。メガホンをとったハサン・ハーディ監督は、自身がイラク南部で過ごした子ども時代の記憶をベースに、ニュースの裏側に隠された市井の営みを圧倒的なリアリティで描き出した。

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監督の実体験から生まれた物語

本作の核となる「学校での誕生日ケーキ係のくじ引き」は、ハーディ監督自身の強烈な実体験に基づいている。当時、教室にボウルを持った教師が現れ、ケーキや果物、花などの用意を強制するくじ引きが行われていた。監督自身は運良く負担の少ない「花係」に選ばれたが、「ケーキ係」に当たってしまい用意できなかった友人は、学校を退学させられ少年軍への入隊を余儀なくされたという。「くじ引きによって友人のような過酷な運命を避けられたことへの葛藤、そして不条理への沈黙に対する問いが執筆の原動力になった」と監督は語る。
物語の主人公は、南部の湿地帯で祖母と暮らす9歳の貧しい少女・ラミア。くじ引きで「大統領のケーキ係」に選ばれてしまった彼女は、困窮ゆえに自分を養子に出そうとする祖母の元を飛び出し、「果物係」の親友サイードと共に、足りないものだらけの町で材料集めの冒険へと奔走する。卵や小麦粉、砂糖を手に入れるため知恵を絞り、時には大切なものを失いながら危険に晒される子どもたちの姿。政治的なプロパガンダを一切排し、極限状態における「純粋な人間の感情とつながり」に注力したからこそ、理不尽な社会の犠牲になる子どもたちの逞しさと切なさが、観客の胸にストレートに突き刺さる。

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1990年代を再現する圧倒的な映画的アプローチ

本作は、1990年代のイラクを描いた初めての長編映画であり、全編イラク国内の実際の史跡で撮影された。冒頭で目を奪われるメソポタミアの湿地帯は、文明の誕生地でありながらフセイン政権によってその90%を干上がらされてしまった悲劇の土地だ。
アラビア語の原題『Kingdom of the Reeds(葦の王国)』には、湿地帯の美称であると同時に、35年以上にわたって鉄拳で国を支配しながらわずか3週間足らずで崩壊したサダム政権──その脆くも崩れ去った権力の虚像──という痛烈な二重の意味が込められている。また、作中の検問所の背景には古代遺跡「ウルのジッグラト」が据えられ、戦死した若者たちの棺が運ばれるシーンと重ね合わされるなど、ロケーションそのものが作品に深い歴史的・哲学的な厚みを加えている。

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演技未経験のキャストから引き出した「生きた感情」

映画ファンを驚かせるのは、キャストのほとんどが演技未経験の一般人であり、中には読み書きができない人もいたという事実だ。
物語の全容を知らされないまま、感情のバイオリズムを逃さないようほぼ時系列に沿って撮影が進められた。通常のリハーサルは一切なく、子どもたちとはゲームやダンスを通じて深い信頼関係を築いた上で臨んだ現場。「子どもを子ども扱いせず、大人以上に賢い存在として尊重した」という監督の手腕により、ラミアたちの瞳からは混じりけのないリアルな輝きが放たれている
とりわけ印象的なのが、ラミアとサイードが言葉を交わさず、ただ静かに見つめ合う「まばたきゲーム」のシーンだ。劇中最後となるその瞬間、言葉の背後にある魂の層がスクリーンのこちら側にまで伝わり、観客の涙を誘う。

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日本映画の巨匠たちへのオマージュ

ハーディ監督は、黒澤明、小津安二郎、なかでも溝口健二から多大な影響を受けたと公言している。特に溝口の『西鶴一代女』に深く感銘を受けており、本作を注意深く観ると、カメラの動きや登場人物の配置(ブロッキング)の随所にそのスタイルへのオマージュが息づいていることに気づくはずだ。巨匠たちが育んできた「人生への哲学的な眼差し」は、本作の底流にも脈々と流れている。
ラストシーンに辿り着いたとき、私たちは「本当の幸せとは何か」という問いを改めて突きつけられ、胸を震わせることになる。機材も施設も不足した現在のイラクという過酷な環境で、奇跡のように生み出された本作。映画館の暗闇で、その生命の輝きをぜひ目撃してほしい。

映画『大統領のケーキ』作品情報

◆配給:松竹
◆公開日:7月10日(金) 大阪ステーションシティシネマ ほか全国ロードショー

監督・脚本:ハサン・ハーディ
出演:バニーン・アハマド・ナーイフ、サッジャード・モハンマド・カーセム、ワヒーダ・サーベト、ラヒーム・アルハジ
プロデューサー:リア・チェン・ベイカー
エグゼクティブ・プロデューサー:エリック・ロス、マリエル・ヘラー
撮影監督:トゥードル・ヴラディミール・パンドゥル 編集:アンドゥ・ラドゥ 音響:タマーシュ・ザーニ 美術:アナマリエ・テク
2025年/イラク、アメリカ、カタール/105分/アラビア語/シネスコ/カラー/5.1ch/英題:The President’s Cake
日本語字幕:星加久実/字幕監修:中町信孝
配給:松竹/PG12 ⓒ 2025 TPC FILM LLC. All Rights Reserved.

文:ごとうまき