『京都ALS患者嘱託殺人事件』二村真弘監督インタビュー「死にたい」という声を、まず受け止めることから

ドキュメンタリー

和歌山毒物カレー事件の深層に迫った『マミー』(2024)で、日本のドキュメンタリー界に鮮烈な印象を残した二村真弘監督。最新作『京都ALS患者嘱託殺人事件』は、2019年に起きた事件を描きます。ALSを患う林優里さん(当時51歳)の依頼を受けた医師が、薬物を投与して死に至らしめた事件です。メディアは主犯の大久保愉一受刑者を〈狂った医者〉と断じました。監督は、林さんがSNSに綴った言葉、拘置所での面会、受刑者の母親への取材を1年にわたって重ねています。その先に見えたものを聞きました。

判決の傍聴で抱いた違和感

――大久保さんのお母様への取材、さらに供述分析まで。徹底した取材姿勢に、ジャーナリズムへの敬意を感じながら拝見しました。出発点は判決の傍聴だったそうですね。

二村
2024年11月、大阪高裁での控訴審判決を傍聴したのが一番のきっかけです。大久保さんは僕と同い年なんです。傍聴の前に、林さんがツイッターやブログで訴えていた内容を一通り読んでいました。彼女は自暴自棄になって「死なせてほしい」と言っていたわけではありません。耐え難い苦痛があり、それが顧みられてこなかったんです。同性介助を望んでも叶わなかったこと、一部の介助者から暴言や暴力を受けたこと、主治医との関係の中で願いが聞き届けられなかったことも書かれていました。検討すべき訴えだと思いました。

裁判は大久保が罪に問われるかどうかを裁く場なので、林さんに触れないのは当然です。でも事件そのものが「偏った考えの医者が起こした事件」と、かなり矮小化されて伝えられている。判決も、その後の報道もそうでした。だから、まず林さんの訴えを問い直す必要があると思ったんです。




――前作『マミー』と共通するものはありますか。

二村
あると思います。事件がセンセーショナルであるほど、報道が捜査や裁判より先行して過熱していきます。耳目を集めるほど、本来検証すべき背景がおろそかになる。今回も、最高裁判決が出た2025年まで裁判は続いていました。それなのに最初の印象だけが残り、「そんな事件もあったよね」と忘れられていく。同じ構造の問題だと感じました。



――なぜ報道は「殺人鬼」とまで書くほど過激になるのでしょう。

二村
初期の報道は、警察や検察の発表に頼らざるを得ません。捜査機関は有罪にするための証拠を集める機関ですから、その言い分に沿った偏った情報がそのまま報じられます。複雑な事件では、捜査側が描いた絵と実態が異なることがあるんです。カレー事件のように「やっていないことをやったとされている」わけではありません。ただ背景を調べると、考えるべきことが含まれていました。



一度も目を合わせなかった大久保受刑者

――面会での大久保さんの印象は。

二村
気が弱く、自尊心の低い方だというのが第一印象です。大阪拘置所で4、5回面会しましたが、20分間一度も目を合わせず、目を伏せたまま答えていました。報道された「冷酷なサイコパス」像とはまったく違いました。少しでも同情的な言葉をかけると涙を流して、「こんなふうに思ってくれる人はいませんでした」と言うんです。それが本質かは一概に言えませんが、少なくとも僕の前ではそうでした。

面会での話は、ほとんどが事実確認です。裁判での発言は本当か、裏付けはあるか。それをもとに、元同僚など彼を知る人を訪ねて確かめていきました。今は刑が確定して刑務所に移ったので、手紙のやりとりだけです。映画については、報じられてきたものより事実に近い姿を描いた作品だと受け止めているようです。少しでも名誉回復になれば、という思いがあるのではないでしょうか。




――お母様への取材については。

二村
大久保さんは幼少期に「死ね」「お前なんかいらない」といった虐待に近い言葉を受け、それが自分の人格に影響していると話していました。その事実を確かめたかったんです。お母様は「社会に申し訳ない。少しでも罪滅ぼしになるなら、逃げも隠れもせずお答えします」と応じてくださいました。本当にありがたかったです。



複雑なものは、複雑なままに

――証言者の方々には、必ず最初に名前を名乗ってもらっていますね。

二村
 林さんとのやりとりはSNS上だったので、多くの方が本名を伏せていました。名前と、どんな病気を抱えているかを語ってもらうことで、SNSでも実在する人と人としてつながっていたと示したかったんです。それぞれが抱えてきた困難も感じ取ってほしかった。

単純化すれば、わかりやすい事件として消化できます。でも僕自身はそう感じられませんでした。複雑なものは複雑なまま提示する必要があると思いました。




――大久保さんの約2万件のツイートもすべて読まれたとか。

二村
検察は彼の投稿を、命を軽んじる危険思想の根拠として抜粋していました。でも全部読むと、過激な発言は一部です。大半は、終末期の患者さんが本人の意思と関係なく望まない医療を受けていることへの憤りでした。医療者としての不甲斐なさをこぼすものも多かった。過激な投稿は、フォロワーが増える中で「バズりそうなことを」という心理が働いたと本人も話しています。ただそれは僕の主観なので、専門家に供述分析を依頼しました。結論は、彼は優生思想の持ち主でもサイコパスでもない、というものでした。



「安楽死の法制化には、明確に反対です」

――海外では安楽死の法制化が進む一方、日本ではまったく進んでいません。

二村
当初は、いざという時の「お守り」として安楽死があれば今を生きられる、という考えもあると思っていました。でも取材を経て、今は明確に反対です。

林さんは、胃ろうからの栄養注入をやめてほしい、紹介状を書いてほしいと訴えても聞き届けられませんでした。患者の権利がないがしろにされ、医療者との間に権力勾配がある。その構造のまま法制化すれば、家族や医療者の圧力で安楽死に追い込まれかねません。問題は安楽死を認めるかどうかではないんです。当事者の声をいかに聞くか。「死にたい」という声をまず受け止め、その背景や、現行制度でできることを一緒に考える。それをせず、死にたいという言葉をタブー視したことが間違いだったと思います。




――お子さんの不登校のご経験も影響していますか。

二村
大きいですね。2017年、小学3年生だった子どもが不登校になりました。当時の僕は学校は行くものだと思い込んでいて、泣いて抵抗する子を家から引きずり出したこともあります。でも「行きたくない」という気持ちを受け入れて初めて、何が嫌だったのかをぽつぽつと話してくれました。聞けば、すごく理にかなっていた。まず本人の話を聞き、一緒に解決策を探す。そのプロセス自体が大事だと思うんです。



――林さんは「足を引っ張るだけだった制度への復讐」と書き残しています。

二村
患者の意思を叶えれば医療者が罪に問われかねない仕組み、手を貸した人を罰する法律、「死にたい」をタブー視する社会。彼女の訴えを阻んだものの総体を「制度」と呼んだのだと思います。

彼女がSNSを始めたのは、記録を残すためでした。苦痛から解放される道を誰も示してくれない「エアポケット」にいる人たちの苦しみを可視化し、日本で何ができるかを残す。明確な意図を持った発信でした。喜んでいるかはわかりませんが、その意図とずれてはいないと思っています。




「ユリは被害者じゃないよ」

――取材で一番大変だったことは。

二村
医療関係者にほとんどアクセスできなかったことです。もう一つは、映画では描ききれなかった事件の事実確認でした。大久保さんが関わったとされる、山本直樹元医師の父・靖さんが亡くなった事件です。10年以上前の事件なので、相当な時間を割きました。



――取材で大切にされたことは。

二村
「こういう事件だ」と決めつけず、まず話を聞くことです。印象深いのは、映画に登場しない林さんのご友人の言葉です。報道では林さんを「本当は死にたくなかった被害者」とする見方もありました。でもその方は「ユリは被害者じゃないよ。ずっと死にたいって言ってたもん」と。事件発覚時、友人同士で「願いが叶ってよかったじゃん」と話したそうです。その声を届けようとした方向性は間違っていなかったと思えました。



――林さんの言葉の代読を、京都出身の田畑智子さんに依頼した理由は。

二村
ご友人によると、林さんはとても綺麗な方で、時に生意気なほど自己主張をする方だったそうです。その芯の通ったキャラクターを表現してもらうなら田畑さんだと思いました。実際、見事に表現してくださいました。



――最後に、映画をご覧になる方へ。

二村
難病の方とそこで出会った医者が起こした、遠い世界の特異な事件として捉えてほしくないんです。自分や家族がいつか迎える死を前にしたとき、生きたいように生き、尊厳が守られる社会になっているのか。自分ごととして観て、どう生き、どう最期を迎えたいかを考えるきっかけになればと思っています。



『京都ALS患者嘱託殺人事件』


監督:二村真弘/声の出演:田畑智子/プロデューサー:石川朋子


2026年|日本|98分|ドキュメンタリー|

配給:東風
10月31日(土)より

〈東京〉ユーロスペース、〈京都〉京都シネマ、〈大阪〉第七藝術劇場ほか全国順次公開


インタビュー・文・撮影:ごとうまき