固定観念のボーダーを軽やかに超える、安積遊歩の命の輝き。映画『遊歩 ノーボーダー』淺野由美子監督・藤野知明プロデューサーインタビュー

インタビュー

5月23日(土)から公開のドキュメンタリー映画『遊歩 ノーボーダー』。本作は、日本におけるピアカウンセリングのパイオニアであり、障がい者運動やフェミニズムの第一線で声をあげ続けてきた安積遊歩(あさか・ゆうほ)さんの軌跡と現在を追った作品です。

大ヒットドキュメンタリー『どうすればよかったか?』のプロデューサーを務めた淺野由美子さんの初監督作であり、前作で並走した藤野知明さんが撮影・編集・プロデューサーとして再びタッグを組み、二人三脚で完成させました。

車椅子で境界線(ボーダー)をぐんぐんと越えていく遊歩さんの圧倒的なパワーの源、そして彼女と響き合う家族や介助者たちの姿から、これからの時代を生きる私たちが受け取るべきメッセージとは――。お二人にじっくりとお話を伺いました。

独自の魅力を放つ「安積遊歩」との、偶然から始まった運命的な出会い

――淺野監督は今回が初監督作品となりますね。これまではプロデューサーとして藤野さんと組まれてきましたが、今回お二人の役割や撮影の体制はどのようなものだったのでしょうか。

藤野
日本のドキュメンタリー映画は少人数で作るケースが多いですが、本作も基本的には淺野さんが一人でカメラを回して撮影しています。僕はロケに数回同行したくらいですね。遊歩さんの生まれ故郷である福島へ行ったときや、公園でのインタビューなど、編集は二人で進めました。最終的な劇場公開に向けて、途中からはベテラン編集者にも加わっていただき、焦点をより明確にしていただきました。

――これまでの作品とは視点に変化はありましたか?

藤野
これまでは私の作品制作を淺野さんに手伝ってもらってきましたが、今回は「淺野由美子という女性の視点」が明確に打ち出された作品が世に出ることに、大きな意義があると感じています。これまでの作品以上に価値のある、素晴らしい映画になったという手応えがありますね。

――淺野監督は、もともとフェミニズムなどをテーマに撮りたいというお考えがあったのでしょうか。遊歩さんとの出会いを振り返っていただけますか。

淺野
実は、最初から遊歩さんのことを深く知っていたわけではなかったんです。新しいカメラを買ったので「練習がてら撮ってみよう」というくらいの軽い気持ちで、2時間ほどの講演会に参加したのが始まりでした。不純な動機で、今思えば大変失礼な話なのですが(笑)。ところが、いざお話を聞き始めたら、最初からもう面白くて仕方がなくて。信じられないような壮絶な体験をされているのに、話術が巧みでユーモアがある。聞きながら「この人は束縛されずに自由に生きる、本物のフェミニストでありアナキスト(無政府主義という意味ではなく、何ものにも縛られない自由人)だ」と衝撃を受けました。

――まさにビビッと直感するものがあったのですね。

淺野
私は、もし自分で映画を撮るなら「女性しか撮りたくない」とずっと考えていました。社会の仕組み自体が男性中心に作られているため、どうしても男性の行動や考え方に注目が集まりがちですし、撮り手も男性が多い。でも「それなら男性の話は男性たちに任せておけばいい、私は埋もれている女性の姿こそを取り上げたい」と強く思っていたんです。そこで遊歩さんという、障がいや差別の問題にも本質から切り込む女性と出会った。まさにすべてのパズルがドンピシャではまった瞬間でした。その場ですぐに「撮らせてください!」と直談判。そそっかしいんですよね、私(笑)。

――遊歩さんの反応はいかがでしたか?

淺野
遊歩さんはそれまでも著名な方でしたから、テレビなどのメディアに取り上げられる機会は多くありました。しかし、どうしても「障がい者」という枠組みの中でしか扱われず、本当に言いたい言葉を止められてしまう不自由さを抱えていたそうです。だから「ありのままの自分を撮ってくれるのであれば、ぜひお願いしたい」と言ってくださり、お互いの想いが一致して2022年の3月から約2年間にわたる密着取材が始まりました。

行動で未来を切り開く生き方

――本作を撮る中で、「障がい」に対する価値観にも変化はありましたか?

淺野
私自身、特別なものとして捉えていたわけではないつもりでしたが、取材を通してハッとさせられることが多くありました。たとえば、自分が子育てをしていた頃、ベビーカーを押して街に出るとエレベーターがなくて困ったり、邪魔者扱いされたりした経験がありました。今でこそノンステップバスやエレベーターが当たり前のように整備されていますが、それがかつて遊歩さんたち障がい者の方々が命がけで闘い、勝ち取ってきたものだという歴史を、私は恥ずかしながら知らなかったんです。バリアだらけ、ボーダーだらけの社会を変えてきた彼女たちの頑張りは、決して障がい者の方々だけのためではなく、巡り巡って私たち全員がその恩恵を受けている。その事実を猛烈に感じさせられました。

――生きづらさを抱える今の社会において、女性としてのシンパシーもあったのでしょうか。

淺野
女性は自覚の有無に関わらず、世界最大のマイノリティと言われるように、常に何らかの制限を課されて生きています。家事や育児、介護といったケア労働が「女性の美徳」として内面化され、無償の労働として当然視されている。ある意味、全員が男性社会の被害者とも言えます。私は子どもの頃から「なぜなんだろう」と家庭や社会に対して何層もの違和感を抱え、ルサンチマン(不満)を溜め込んできました。だから遊歩さんの人生のお話を聞いていると、自分が受けてきた以上の壮絶な差別や苦労を経験されているにもかかわらず、どこか「合わせ鏡」のようであり、深いシンパシーを覚えずにはいられませんでした。

自己肯定感の根底にある「家族の愛」と、受け継がれる次世代への希望

――作中で特に印象に残っている言葉やシーンがあれば教えてください。

藤野
遊歩さんの「私の身体は美しい」という言葉は、強烈なインパクトを残しますよね。一方で、僕は彼女の人間性の深さに驚かされました。福島ロケの際、これほど強靭な精神を持つ遊歩さんが、10代の頃には思い詰めて自死の未遂を繰り返すほど孤独に追い詰められていたという過去を知り、大きな衝撃を受けました。そこから「福島県青い芝の会」の仲間たちと出会い、自立生活運動に身を投じることで、現在の安積遊歩という揺るぎない人格が形成されていったのだと。

淺野
その根底には、やはり圧倒的な「自己肯定感」があるのだと思います。幼少期の生い立ちを伺うと、ご家族が遊歩さんの存在を全面的に受け止め、本当に可愛がって育てられたことが分かります。お父さんと激論を交わすような場面でも、根底には賢い自慢の娘への愛がある。養護学校時代には本当に理不尽で酷い目に遭われていますが、幼少期に家族から存在を否定されなかったという絶対的な安心感が、彼女の人間性の確固たる土台になっているのだと感じます。

――妹の愛子さんや、娘の宇宙(うみ)さんも登場し、作品に多面性と厚みをもたらしていますね。

淺野
妹の愛子さんとの対談シーンは、遊歩さんの提案だったんです。私は愛子さんにお会いしたことがなかったので、何が撮れるか未知数だったのですが、いざカメラを回してみたら、家族の内側にあった非常に重要なドラマが溢れ出てきました。愛子さんは遊歩さんの2歳下なのですが、かつて親から「あんたが一生、お姉ちゃんの面倒を見るんだよ」と言われて育ったそうです。ある種のヤングケアラーであり、抑圧ですよね。愛子さん自身も「虐待の子もそうだけど、それが当たり前だと思って育つ」とサラッと語っていて胸が締め付けられました。しかし遊歩さんは、そんな周囲の思い込みを飛び越えて、どんどん一人で世界へ飛び出していった。それによって、愛子さんもまた「自分の人生を生きていいんだ」と解放されていったのです。

――娘の宇宙さんの存在も、これからの未来を感じさせる象徴的なシーンでした。

淺野
宇宙さんが生まれる当時、パートナーのご両親から出産を猛烈に反対されたという背景があり、インタビューではそのあたりの苦労話が中心になるかと思っていました。しかし、現在大学院で学びながら、将来は専門家として海外で障がい者の権利向上のための研究をし、「世の中を変えていきたい」と真摯に語る姿は、私にとって全くの予想外でした。お母さんである遊歩さんの思いをしっかりと受け継ぎながら、また違うしなやかなアプローチで未来を切り開こうとしている。非常に希望を感じる瞬間でしたね。

凝り固まった心をほぐす、魂の「マッサージ」のような映画体験を!

――現代社会はルッキズムや自己責任論、孤独や孤立など、若い世代を含めて多くの人が生きづらさを抱えています。そんな今だからこそ、本作が果たす役割は大きいのではないでしょうか。

淺野
本当に、今の世の中はますます息苦しく、閉塞感がありますよね。「他人の役に立つのか」「どんなスキルがあるのか」と、社会に利益をもたらす生産性ばかりを求められる。でも遊歩さんは、「生きているだけで素晴らしい。私は私が一番いいし、あなたはあなたで一番いい」と全肯定してくれるんです。

女性が若さや美しさの基準(ルッキズム)に縛られ、20代を過ぎたら価値が下がるかのような異常な風潮も含めて、本作がそうした世間の固定観念や抑圧を優しく「解きほぐす」ものになってほしい。遊歩さん自身がパワフルに動き回り、どんどん他人の懐に飛び込んでいくお節介さや人間的魅力に触れることで、観客の皆さんの心に風穴が開けばいいなと思っています。

――最後にお二人からメッセージをお願いします。

藤野
言葉による差別や不条理を経験されている当事者の方々は、多くの場合、カメラの前で声をあげることすらできず、社会から見えなくなってしまいがちです。しかし遊歩さんは、本を書き、語り、境界線を越えて力強く前に進んできました。映画というメディアが持つ力は、単なる情報の伝達ではなく、スクリーンを通して彼女の生の表情やエネルギー、言葉以上の震えをダイレクトに「体験」できるところにあります。ぜひ劇場で、その特別な体験を味わっていただきたいです。

淺野
生きづらさを抱えていたり、社会に対して何らかの疑問や苦しさを感じていたりする方にこそ、この映画を届けたいです。凝り固まってしまった心を柔らかくほぐし、明日を生きるための「勇気と元気」を見つけてもらえるような作品になっています。いわば「心のマッサージ」を受けに来るような感覚で、ぜひ映画館で遊歩さんに会いに来てください。

『遊歩 ノーボーダー』

5月23日(土)より、ポレポレ東中野ほか全国順次公開

インタビュー・文・撮影:ごとうまき