【インタビュー】忘却に抗い、アイデンティティを「再定義」する。ムスリム女性たちの静かなる革命

インタビュー

2019年、インド。ナレンドラ・モディ政権が制定した「市民権改正法(CAA)」は、イスラム教徒(ムスリム)を公然と差別する内容であり、国全体を揺るがす大きな亀裂を生みました。これに対し、ニューデリーのシャヒーン・バーグでは、それまで社会的に「透明化」されてきたムスリム女性たちが立ち上がり、100日以上にわたる不服従の座り込みを開始しました。

山形国際ドキュメンタリー映画祭2023で観客賞(市民賞)を受賞した本作『山形国際ドキュメンタリー映画祭2023で観客賞(市民賞)を受賞した本作『わたしの聖なるインド』は、監督自身がその渦中に飛び込み、自らのアイデンティティと国の在り方を問い直した魂の記録です。来日したノウシーン・ハーン監督に、作品に込めた願い、そして変わりゆくインドの今を聞きました。

「夢の国」とは、多様性を祝う場所のこと

――映画を拝見し、インドにおける女性差別や階級制度だけでなく、ここまで過酷な政治的抑圧があることに衝撃を受けました。原題(Land of My Dreams)にもある「私の夢の国」という言葉には、どのような想いが込められているのでしょうか?

ノウシーン・ハーン監督
私にとっての「夢の国」とは、特定の場所というよりも「多様性を祝福できる状態」を指しています。私が幼稚園児だった頃のインドは、異なる宗教や文化が共存し、それを喜び合える空気に満ちていました。今の困難な状況を見るにつけ、あの頃の感覚をもう一度取り戻したいという強い願いがあります。もう一つの意味では、私の母校であるジャミア・ミリア・イスラミア大学そのものです。そこは私が自由に自分を表現し、映画制作を学び、今の私という人間を形作ってくれた、文字通りの「ドリームランド」でした。そこが警察の暴力を受けたことが、この映画を撮る大きな動機となりました。

――監督自身のプロフィールには「信仰から距離を置き、社会に溶け込む努力をしてきた」とあります。この映画を撮る過程で、ご自身のムスリムとしてのアイデンティティにどのような変化がありましたか?

ノウシーン・ハーン監督
大きな変化、いえ「再生」に近い経験でした。私は両親の教育方針で、地域でもトップクラスの学校に通わせてもらいました。そこではムスリムは私一人。周囲に馴染み、良い教育を受け、安全な将来を手に入れるために、私はいつの間にか自分の信仰やアイデンティティを隠し、カモフラージュするようになっていたのです。自分を「映画監督」だとは思っていましたが、「ムスリムの女性監督」と定義することには抵抗がありました。しかし、シャヒーン・バーグで100日間、女性たちと過ごす中で気づいたのです。現政権は、私たちのアイデンティティを混乱させ、攻撃することで支配しようとしている。ならば、それに対する最大の抵抗は、自分のアイデンティティを隠さず、自信を持って「私は私である」と宣言することなのだと。

怒りを「美しさ」へと昇華させる

――撮影から完成まで3年という歳月を費やされています。その長い月日の中で、伝えたいメッセージに変化はありましたか?

ノウシーン・ハーン監督
撮影当初、私の心にあったのは警察の暴力に対する激しい怒り、そして悲しみでした。しかし、座り込みを続ける女性たちの姿は、それ以上にインスパイリング(刺激的)だった。私はそれまで熱心な信徒ではありませんでした。でも、「なぜ自分は、イスラム嫌悪(イスラムフォビア)の言説にこれほど傷つき、怒りを感じるのか?」と自問自答を繰り返しました。制作のプロセスは、自分自身を深く知るための内省の時間でもあったのです。最終的に、私は自分の内にある「怒り」を、何か「美しいもの」へと接続する方法を学びました。単なる政治的な告発に留まらず、インドで起きている現実を世界の人々と繋ぐための、普遍的な表現へと昇華させたかったのです。

――シャヒーン・バーグの女性たちの姿は、これまでの「抑圧されるムスリム女性」というステレオタイプを打ち破るものでした。

ノウシーン・ハーン監督
そう、それこそが私が世界に見せたかったビジュアルです。彼女たちは家庭に閉じこもり、男性に従うだけの存在ではありません。夜の公共空間を取り戻し、高らかに政治を語り、民主主義を守るために戦っている。ムスリムと言っても決して一枚岩ではなく、世代も背景も異なる多様な人々がいる。その力強さを日本の観客にも知ってほしい。彼女たちの姿は、同じように家父長制や社会的な壁に直面している日本の女性たちとも、必ず共鳴するはずだと信じています。

コロナ禍が隠れ蓑にした「悪魔化」の進行

――パンデミック以降、インドの状況はどう変化したのでしょうか。

ノウシーン・ハーン監督
非常に厳しい状況です。パンデミックによるロックダウンは、政府にとって運動を鎮圧する絶好の「隠れ蓑」になってしまいました。多くの学生やアクティビストが逮捕され、今もなお刑務所に収監されていたり、裁判を抱えていたりします。また、政治家たちはコロナの危機を管理できなかった失策を隠すかのように、ムスリムを「悪魔化」するヘイトスピーチを広めました。マイノリティを敵に仕立て上げることで権力を維持しようとするやり方は、決して持続可能なものではありません。

――映画を公開することで、監督ご自身に危険や圧力は及ばなかったのですか?

ノウシーン・ハーン監督
政府からの直接的なプレッシャーというよりは、間接的な抑圧が続いています。国内での上映は極めて困難な状況にあり、シャヒーン・バーグについて語ること自体に「恐れ」が広がっています。自主制作で映画を作る私にとって、国内で上映できないことは精神的に辛い時期もありました。しかし、こうして国際的な映画祭で観客が深く繋がってくれることが、私の最大のモチベーションになっています。日本でこの映画が公開されることも、私にとって大きな希望です。

世界と共鳴し、絶望の中で「喜び」を語る

――日本の観客に、特にここを見てほしいという場面はありますか?

ノウシーン・ハーン監督
映画の半ばに登場する、バノという80歳を超えた女性の声を聞いてください。彼女はこう言います。「抑圧は色を変え続けるが、本質はいつも同じだ」と。彼女が語るマイノリティ抑圧の歴史は、今まさに世界中で起きているヘイト政治や分断と地続きです。世界的に右派政権が力を強める中、私たちは孤立してはいけません。お互いの痛みや抵抗に共鳴し、声を上げ続けること。それが絶望に打ち勝つ唯一の道です。

――次回作では、カシミールの女性や子供をテーマにされていると伺いました。

ノウシーン・ハーン監督
次は「リプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)」のために働く女性たちを描きます。南アジアの女性と言えば「苦しんでいる」「侵略されている」という悲劇的なイメージが先行しがちですが、私はそれを破壊したい。次作のテーマは「女性たちの喜び」です。どれほど政治的に困難な時代であっても、彼女たちの間には友情があり、ケアの文化があり、笑いがある。コミュニティの中で育まれる「喜び」や「幸福」に焦点を当てることで、新しい南アジア女性の姿を提示したいと考えています。

2026 年 6 月 6 日(土)より渋谷ユーロスペースにて公開ほか全国順次公開

【インタビュー後記】

ノウシーン・ハーン監督の言葉は、鋭い知性と、それを包み込むような温かな共感に満ちていました。「怒りを美しいものに変える」という彼女の姿勢は、混迷を極める現代社会において、表現者が持つべき一つの希望の形に見えました。映画『わたしの聖なるインド』。そこには、私たち日本人が見落としがちな「自由」の尊さと、連帯の力が刻まれています。 

インタビュー・文・撮影:ごとうまき